「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

こんにちは。

 

昔書いたのではないかと思うが、確証バイアスという言葉がある。

確証バイアス(かくしょうバイアス英: Confirmation bias)とは社会心理学における用語で、自己の先入観に基づいて他者・対象を観察し、自論に合う情報を選別し受容して、それにより自信を深め、自己の先入観が補強される現象である。(Wikipedia抜粋)


これは、平たく言えば、先に持論ありきでモノゴトを視てしまう故、偏った見方ができてしまうということである。これが、spiritualの世界には異様に多いことがある。

霊視という時点でこれを絶対に抜かなくては見ることが不可能なのだが、霊視の時点で、「当たり」をつけて見る癖 がある人がいる。そうなると、大体はどこにでも、「白い服で、長い髪の女」が出てくることとなる。他には、「白い服に赤いしみ」がついているケースもあ る。どっちも、「病的な人の象徴である。」


では、何故幽霊は白い服なのか、そこを考えてみると、病んでいる人は大体、病みっぷりが酷くなると、自分が穢れているという妄想に取り憑かれやすい。そうなると、霊性のアップも含め、白い服を着たがるようになる。つまり、穢れていない自分をアピールしたくなるのだ。


ニューエイジがブームだった頃、欧米ではニューエイジが好んで白いだぶだぶした服を着たがるようになった。他に、色々な服を着る人もいたが、異様に自分の内部の穢れに敏感な人ほど、白い服を着るようになったと言う面がある。


そこで、よく考えると、人間、生きてくれば絶対に心が穢れていない人など存在しない。どんな場面であろうと、絶 対に「欲」丸出しで何かに応対していない人等あり得ない。ご飯を目の前にして、おなかがすいていればいるほど、沢山よそってあるモノに目が行くのは当たり 前である。そんな些細なことから大きなことまで、人は「欲」の中で上手にバランスを取りながら生きている。


しかし、spiritualや、カルト宗教に染まりがちな人は、それを絶対に「許せない。」事として扱う。彼ら は心の清らかさを象徴して、白い服を好んで着る面がある。しかし、彼らも心が清らかである訳ではない。ただ、心の清らかさに対して、過剰を通り越し異常な ほど敏感なのである。


そういうメンタルの弱さに目をつけて、その彼らを上手に洗脳するのが、カルト集団である。己は絶対に清らかでは なくてはいけないと思う思い込みから、全てがそんな論理ばかりを取り入れ、好んで読むようになる。己にも絶対はない。清らかである面と、清らかではない面 を上手にバランスを取って生きるのがこの世であり、中庸である。


彼らは、病的に、清らかさを求める。


その結果として、心を病み、バランスが取れない傾いた天秤を、どうやって片方に清らかさを乗せて、もう片方に何 を乗せればいいのかを悩んで、独りで高い壁の中で悩んでいる。清らかさの天秤のもう片方は、清らかではない部分だよと教えても、それは受け入れられないの で、何を乗せたらいいのか悩む旅は延々と続き、同じことばかりを質問して歩き、自分のたどり着いた思想を感情を込めて相手に押しつける人間となる。

そういう人は、相手にも高潔さを求め、高潔さの中で、生きていく人を尊敬し、そしてその人が清貧であればある程、尊敬するようになる。


意外と、その要求こそが、清らかではないという考えには至らないようなので、困った事である。その理不尽な他人への要求こそが、清らかではないので、あなたの天秤は釣り合うのだと言っても、恐らく納得はしないであろう。


人には色々な面があって当たり前である。高潔で誰もが尊敬できる人材は、あまりいない。大きな物事をやれる人 は、大体は人格が破たんしていたり、周囲の協力があって出来上がっているひとだったりする。しかし、しばらく平成の世の中は、そういう人材を潰して歩い た。そういう人格破綻者が見せる「芸術」というモノこそが、大変に面白く、一風独特の世界観を鑑賞して楽しむことに対して、手ひどく世の中は当たった。

アイドルは、高潔であり、お客様が恋人であるという妄想もよくあることである。しかし、アイドルだってトイレに は行くし、おなかは壊すし、握手会で手を洗ってこない奴は嫌いだし、そりゃ色々あっても、言わないでやるからこそ、そういう妄想に取り憑かれた人に、上手 にマッチするのである。要は、演出である。


カルト教祖は、演出を上手に心がけるからこそ、病的なまでに清らかさを求め続けて行く人の琴線に触れる。


でも、理解してほしいと思う事は、


穢れている自分は、当たり前なのだということ。

穢れていることから目を背けてはならないこと。

穢れている自分を嫌ってはならないこと。

生きていく為に穢れていくことは、当たり前なのだということ。


そして一番大切なことは、


「欲」は程ほどであれば、穢れの内に入らないこと


だと思う。病的な人ほど、その「欲」を持つことさえを嫌うが、無理に菜食主義にして、器質に食生活が合わず、不 定愁訴を述べる人がいる。無理に、「欲」を押さえすぎて、別方面で過剰なほど乱れる人もいる。どこかで上手にバランスを取って、その場面から明らかに逃避 している面を取り除かなければ、あなたは日常生活がうまく行かないんだと考えていただきたいと思う。

菜食主義でなくてはいけないという、法律はないし、そして体に悪いということはない。現に揚げ物を食べてご長寿を誇る人もいる。問題は、些細なことに縛られて、あなたが身動きができず、「不満が溜まる」ことである。

人間の社会はストレスばかりであるが、「欲」を取り除いたところで、ストレスが減るものではない。問題は、「過 剰な欲」に値する「妄執」「固執」「執着」「粘着」という点を、どう上手に社会の中でいなしていくか、どう上手に社会で交渉上手となるかである。そこで気 にしなければならないことが、「法」である。


世の中には、あれこれもっともらしい事を言う人が多いが、基本的にこういう人は「法」に抵触することを行う。


日本が法治国家であることを時折皆さんは忘れるようだが、わたし達が一番守らなければならないことは、「法」であり、法の下に裁かれる身として、菜食主義が法に抵触するとは限らないが、あなたが恫喝する程、相手に高潔を求めて、お布施を強要すれば、それは、「法」に抵触するのである。

spiritualが一番抵触しているのは、「法」じゃないかと思う。


己の信条を貫くことはいいことだと思うが、その信条である、清らかでいたいがために、「法」を侵すことはどうかと思う。


そんな現実があるからこそ、相変わらず幽霊は、ブラックフォーマルドレスを着てくることなく、白いワンピースに、伸びっぱなしの汚い髪で、Most performance大賞が取れるほどの演出を行い、今日もあなたを待っているのである。



下痢をしたら、浄化ができたと喜ぶ集団は、正直理解できない。あまりにひどい下痢をしたら、ノロを疑うなり整腸剤を貰いに、病院へ行くべきだと思うがね。
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こんばんは。

 

医者が、自分の専門分野と同じ病気になるとは聞く話だ。精神科の医者なら、精神を病み、循環器なら、循環器系の病気になる。

しかし、これは、全く普通の整体のお兄さんの話である。

 

整体のお兄さんを仮に、正君としておこう。

正君のお仕事は、病や生活の中で、固まった筋肉を解し、そこからアプローチする方法である。なので、正君は、筋肉が大好きである。筋肉を見ると、客が何で悩んでいるかわかると言う。

正君のところへ、ある時客が来た。その客は、クレーム処理を職場でしているのだが、実はある時、ある人に怒鳴られた時から、腰が痛いと言ってやってきた。正君は、腰の調子をストレッチをさせながら見ていて、「心因的なモノだな」と思ったと言う。

その後、客は、どういう訳か、正君を指名して、3日間通い続けたと言う。

 

勿論だが、正君は、シフトのある限り、その客を引き受けながら、こう思ったと言う。

「3日間通い続けるってことは、僕の整体の結果が出ていないって事なのかな。だったら、3日目は、別の人の方がいいのではないか?」

 

しかし、その客は、正君を指名してまで、お願いしてきた。しかし、客は何も語らない。何も言わないことが、逆に正君の中で、この人の体は、どうなることが「好み」でどうなるのが「本来あって欲しい点」か、見失ってしまう事となる。

なので、正君は、3日目も一生懸命整体を行い、そして、客は帰り際に言った。

「ありがとう。もう来ないから。」

正君は、3日間で下手だと思われたような気がした。その帰り道、正君は、致死に至るかと思うような事故に遭ってしまう。

 

 

正君は、事故に遭ったけれど、間一髪、持ち前の筋肉の躍動でかわし、後遺症はひどくなくすみ、その後2か月後に復活し、仕事を始めた。

久々に整体を行うと、自分がしばらく寝たきりだっただけに、大変疲れるものである。そこへ、また、あの例の客が来た。

客は、やはり今回も3日連続で正君を指名してきた。しかし、正君は、前回、施術後の帰りに事故に遭っているので、結局自分の集中力がミスったんだろ うなと思って、3日目は、同僚にこっそり変わってもらう事とした。客には内緒で、正君は、具合が悪くなったと言って変わってもらう予定だった。

しかし、客は3日目に来たけれど、変わってもらいたくない。今すぐ正君を呼んでくれと言って動かなくなった。

 

おかしい。おかしい。なんで、僕なんだろう。

でも、周りの客に配慮して、一応隠れていた正君は、出てきた。そして、3日目も整体が終わった。

 

正君はそのまま、帰ろうとして、駅へ着いた時、強烈なめまいを感じたと言う。浮動するめまいではなく、回転性のめまいである。危ない、脳関係に響いているかも。心なしか、手も両方とも痺れている。

 

そこで、正君は、そのまま、駅から電車に乗らず、近所の喫茶店に入った。携帯を取り出し、電話をかけ始めた。

かけたところは、わたしのところであった。正君の最初の事故の時、居合わせたのが、わたしだったので、証人として、電話番号を教えることとなってい た、その半ば忘れかけた電話に、急に思い立って電話したと言う。ちなみに、わたしは名乗っていない。筋肉 正(きんにく ただし)という相手の名前は貰っ た。

「はい。」

わたしは、知らないナンバーの電話に出る時、大変に無愛想である。なので、一瞬、正君は、ひるんだが、正君の中で思う事があって、そのまま正君は、喋り始めた。

 

ある客が来て、その客の頼み方が、ちょっと変なんだという事。その後、必ず具合が悪くなるという事。

 

正君は、自分でも思ったと言う。「こんなこと、あの時助けてくれた人に言ったら、おかしいと思われる。」でも、言わずにはいられなかったと言う。

 

わたしは、一通り説明を聞いた後、ふーっとため息をついて、正君に言った。

「あのさ、それ、職場を辞めるしかないと思う。まぁ、職場を辞めたところで、次の職場が、その客に見つかったら終わりだけれどね。」

不可解な答えが、わたしから、帰ってきた。

「あのさ。その客、手におえないんでしょ?うまくさばけるように、腕が上達するまで、どこか別の店に行った方がいい。」

「・・・・・・・・・・・あの・・・・・なんの腕でしょうか。」

「うん。だからさ。その、相手の体を正常に戻した後、自分も正常のままで維持できる腕だよ。」

「・・・・・・・・。」正君は、一瞬、何を言っているか、通常だったら意味不明だったと思ったが、その時はすとんと腑に落ちたと言う。

「分かりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」

「いいよ。後ね、手におえないって時は、方違えって方法もある。だから、どこか帰り道に寄り道する事もありだと思いなよ。コンビニでもいい。」

「え?」

「あんたが、3日間でやったのは、所謂憑き物落としってやつだ。災厄を体よく押し付けられたんだね。だからさ、それを、片付けられる方法が見つかるまで、自分が初日からどこかへそれを押し付け続ければ、そいつの呪詛は成り立たなくなる。」

「自分が貰った災厄を、人に押し付ける?」

「うん。整体師さんなんでしょ。人に押し付ける、そういうの後ろめたいよね。それでも、身綺麗になる方法は幾らでもある。」

「塩とかですか?」

「残念だね。塩とか、風呂とかじゃ、そういう憑き物系は落ちないよ。」

「んじゃどこへいったらいいんですか。」

「はー。スーパー銭湯に行って、あかすりしてこすり落とすのが一番だけれど、その人、3日間通ってくるんでしょう。そこまで財力ないよね。」

「はい。」

「うん、だったら、その人の3日目が成り立たない様にシフトを変えればいい。まぁ、職場変える方が、もっと解決つきやすい。何回かシフトを変えれば、相手も嫌がられているのが分かるから。そうなったら、終了。」

「憑き物落としですか。」

「うん。憑き物を受け取る方も、結構ダメージ喰らうから、整体さんだと、腕にリストバンドをはめて、そこの中にお札入れる人もいる。でも、あんま、効かない。」

「それじゃ、どうしたらいいんですか。」

「まぁ、逃げるんだね。相手も死活問題だから、やってくるんだろうし、ろくな奴じゃないよ。憑き物落としは、別に整体師の専売特許でもない。コンビ ニでも、どこでも普通にあるよ。繁華街なのに、理由なく、1件だけうらさびれる店もあるじゃん。あと、自分ばかり病気とかだけれど、自分のところを訪ねて きた人は、成功してばかりというケースもあるじゃん。あんなのも憑き物落とし。」

「憑き物落としなんて、まだこの世にあるんですか。」

「まぁ、平成の時代でも、仕方ないね。ところでさ、もう、いい?電話切っても。」

「あぁ、すいません。本当にお世話になったのに、お礼にも行かず、こんな電話で申し訳ありません。」

「うん。まぁ、そういう系だと思ったんで、手を貸しただけ。もう、二度と電話してこないことを祈るよ。」

「ありがとうございます。気を付けます。」

 

その後の正君だが、実は、店を大幅に変えたのだけれど、その客に見つけられ、3日経つ前に、店を休むことにしたと言う。

軽くショートメールで、「僕撃退法を見つけました。」「3日間の、真ん中を休んだり、最終日を休んで調整します。」「これで、ここ数カ月、見ていません。」とあった。

 

うん。まぁ、それもありだ。他者に被害を与えるより、健全な考えだ。頑張れ、正君。

 

お世話になったお礼に、自分の実力を見て欲しいと言われたが、わたしも憑き物落としをしそうなんで、遠慮しておく。

 

 

正統派なやりかたは、相手の図々しさの上を行く、ずうずうしさで、着け還すというテクニックだね。他、憑き物落としをした人の後に、訪ねて行った人 が、逆に拾ってしまうケースもあって、忙しいと、憑き物をどこで落としてしまったんだか、どこで拾ってしまったんだか分からない時がある。

そういう時はね。どうしたらいいかって、よく聞かれるんだけれど、絶対、別の人にも迷惑かけない方法ってないんだよ。

憑き物って、目に見えれば見えるんだろうしね。触感があるって言う人もいるから、見えるだけの存在じゃないんだ。

時折、人はそれを、「鬼」とも呼ぶけれどね。

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こんばんは。

 

基本的に、霊能者ってのは、宗教法人に所属してるか、どこかと関係があって、タブーをそこで教わってくる。まあ、宗教法人って言っても、カルトから密教まであるから、流派も、やり方も、何もかも違う。

 

若い頃読んでた漫画家の漫画に出てくるネタで、眷属を使う霊能者ってのもいる。

 

わたしは勧めない。結局のところ、ただの心霊だろう。下手すれば、オバケじゃん。真面目に自分のところで修行させるとか、

 

あなた、いつそんなに偉くなったの?

だ。神仏に判断を委ねて、処分する方が効率的であり、むしろ、こき使っていいと言う何もない。そいつが生きてたら、いつか絶対裏切る。根性曲がってるものは、そういう人間の逆恨みでできてる。

 

読み物としては面白い。けど、それ以上のそれ以下でもない。大体使役したがる人ほど、後で金のトラブルを抱える。だから、世の中の仕組み、経済の仕組み、犯罪の仕組み、カラクリ、皆知ってても、詐欺に引っかかったり、容赦なく頭が良くたって、トラップに引っかかる人もいるわけだよ。

 

人間は完全じゃない。

 

だから、霊能者達が勿体ぶって口伝にしたがることもあるけれど、ここまで、制止を振り切って書いてるのは、つまりは、霊能者にとって秘密は都合がいいんだよ。金になるネタのような気持ちにさせてくれて、信者が付きやすいから。目覚めたとか言わせて店子は増えるし、ソースは曖昧で結構だし、足つかないもんね。

 

でも、世の中で見てきて思うのは、名を売ろうとして苦労して霊能者になる人より、遥か先を進んでる既に霊能者って人も多いわけ。自己解決型なんだろうけどね、先人の切り拓いた道はある程度再現性があるなら、シェアしておこうかと思って、タッチーを書くことにしたわけ。

 

普通なら書かない。わたしもねえ、普通の春(この頃はコロナ禍)なら書かなかったかなと思う。

 

ただ、分かんないでしょ。つけ込まれる隙バリバリでしょ。弱ってる時に、迷っても困ると思うから書くことは書く。

 

基本的に、霊能者やヒーラーは、思想を持ってる。どこの党の回し者かは、大概ブログや本人の話で割れる。前に、政党のご指南役になると言う駄ボラ吹いて、多くのクライアントにセクハラ三昧、他無責任な事をして消えて、復活した奴もいる。そいつも漫画家に営業して漫画出してるよ。

 

真相も調べたし、他に、色々な団体から、自分の考えに同調してステマして欲しいと言う話も自分宛に聞いた。断った。

政治的思想や、カルト宗教の思想は、沢山の教祖を抱え、キッチリしのぎにしなきゃならない。だから、始めは言うことまともでも、直ぐに馬脚を現す。

 

見ててみな。教祖の仲良くなってる人脈ネットワークは、時として、海に沈むレベルだよ。犯罪の臭いもするね。

 

だから、レベル高い力の人は、元々災いに近づかないで、普通の生活の中で身を守る。なりを潜める。霊感電話相談した相手の霊能者が自分よりレベルが低いのは良くあることだ。それどころか、占い師がマルチ商売やってて、弱みに漬け込んで誘導することもある。

 

それで、看板が出せるのであるから、この霊能者達が、団体の資金源になりやすく、扱いやすいのも分かる。
しかも、こぞって貧困層で使い捨てタイプばかりだ。捨て駒で、都合のいいあしらわれ方してる。彼らは自分で動いてるようで、自分で動いているのではなく、誰かのご指南を受け、同調し、しのぎの資金源に成長しようとしてるだけだって分かる。

 

分かっても止めない。痛い目にあって、海に浮かんでも、この人は霊能者や先生と呼ばれたかったとそう思えばいい程、人の意見なんて聞かない。こんな意固地な霊能者達に、死んだひとを眷属にしたり、神となんだとか聞いてるとね。

 

もう、全部妄想としか思えないんだよ。

 

だけれど、そうじゃない人もいる。ひとに紛れ、特性を持て余してる人もいる。だから、重い口を割ってタブーネタを書くわけだよ。

 

無論、しのぎにならないよう気をつけている人もいるけど、うーん。申し訳ないけど、その知識は試してガッテンで、行い済みで、1時間12000円の価値はない。今はもっと高いだろうね。

他、ちゃんと見えてても、帰りの矢を喰らったり、霊能者は、どんなにストイックでも、やり直しもきかない。

 

故にタブーネタを遺しておこうと思うんだよ。

 

まずは、自分の欲求不満が、政治に向いてるのか、神の理不尽に向いてるのか、自分の器質に向いてるのか、考えた方がいい。

 

どうせ、正義なんて、後付けだ。

 

だから、自分の心を1番見たくないだろうけど、無茶なことはしないことだね。

この世界、作家さんのブレスひとつで、政治的思想も見破れるケースがある。気をつけるんだね。

 

この先、どんどん煽られた時にいいように、今、ある時間で、よく自分の不満や、出していいこと出して悪いこと、そして、心を整理しておかないと、なけなしの小銭まで巻き上げられるよ。最後は老いた身体、病気の身体に鞭打って、参加者や、デモ隊や、酷暑の中延々と歩かされることになる。

お好きな方はどうぞ。反社と関係持つと、5年は身綺麗になるのにかかるからね。

 

本当にさ、霊能力があったらさ、ある以前に、こんな犯罪臭のする業界来ないよ。

犯罪が好きな人じゃなきゃね。

 

 

ああ、ちなみに私は仕事の都合で、身辺調査2回受けてますが、クリーンですよ。誇っていいですか(笑)
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野生の思考
クロード・レヴィ・ストロース
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こんばんは。



人間て、簡単に言えば、料理を作りますよね。レシピを見てから、材料を整えて作る事を、「栽培された思考」と申しましてね。システム設計したものをプログラミングして行くような思考の事をさします。始めに、レシピありです。材料は、決められてて、およそ、タイヘイファミリーサービスのように、人参30g、小麦粉100g、しいたけ2個のような切り口上で、出来あがるモノが予想できた状態でモノを作る事を言うんです。

反対に、野生の思考、この本では、違う意味を差しているんですが、あえて、分かりやすく方向性をつけて考えると、料理では、冷蔵庫にあったもので、「ありあわせ」を作る才能の事を申します。

分かりやすいですか。分かりやすいですね。本とは内容が遠ざかりましたが(苦笑)。

冷蔵庫の中に、今日は何がある。だから、全く、当初予想し得なかった料理が、食卓を飾るって事、よくありませんか?今日はこんなモノを予定していたけれど、何だか、出かけるのが億劫になってしまって、あり合わせのモノでいいわってなったら、えらい何だか、普段作らないような美味しいご飯を作ってしまったと。これを、「野生の思考」と申します。始めに、方向性を決めるレシピと、方向性を決める、材料がグラム単位で揃っている「戦略的なシステム設計」とは違います。

また、人間の進化ってのは、結構なメジャーアップデート(大きな更新)をしながら、それでも、「一歩進んで二歩下がる」事もあって、進んで来ているんですよ。人間てのは、過酷な環境の中で、便利な遺伝子を優先させて生き延びるんですけれど、過酷な環境が変わる事もあるでしょう。身体的に、今の子供達は、私たちとは作りが違う。それも、遺伝子の試行錯誤の元にある訳で、始めっから、神が「こういう進化を遂げて、こういう成長が正しいのです」と指定してあったら、人間、こうも迷わなかったと思います。

それを、人間が迷いながら進んで行くのは、環境によって自分達を変えて行く自分たちの作りに、何故なのだろうと疑問が湧くからじゃないんですか。まぁ、疑問が湧かない訳はないですよ。同じミトコンドリアを持つイブの子孫の私たち。イブ以外に女性はいた訳ですよ。けれど、全世界で、同じミトコンドリアの持ち主だけが生き残った。恐らく、その淘汰の意味や理由さえ、私たちイブの子孫には、一生理解できないんじゃないんですか。

このあり合わせの材料で、何か作ってしまう行為を「ブリコラージュ(リンク先はWikiPEDIA)」と申します。

私の場合、小学三年生の頃は、既に父の下請け企業となっていました。父は、近隣の人や、研究所の人から修理を頼まれて、電化製品を持って帰ってくる。家族総出で、電化製品の修理を承って、お小遣いを稼ぎ倒していたんですわ。そこまで貧乏な家計ではなかったらしいんですけれど、どうにも、電化製品の故障は、「朋父」までという暗黙の了解があって、あの当時の電化製品は脆弱だった。だから、頻繁な修理が必要だった。それを、父は始め、無償で受けたまわったんですが、どうにも彼が論文を書く時間まで失わせるほど、依頼が来る。画して、小さな下請け企業に、「朋」と「朋兄」がなった訳です。

下請け企業は、悩むんですよ。なんせ、何度直しても、そこが焼き切れてしまう。はんだごてで毎回くっつけるんですけれど、なんでそこが毎度焼き切れるんだか、自分たちで調べてみようって事となった。けれど、頼まれたものでは、実験が出来ないから、自分たちで、あちこちのスクラップ工場や、ゴミを漁って、色々部品を貰って来て、自分たちで、脆弱さが無い、アンプとか、レコードプレーヤーとか、スピーカー、各種電化製品をちょこまか、アップデートさせて考えて行くんですね。一時期、実家のレコードプレーヤーなんて、回転する輪同士を繋げているのが、本来は、業務用のゴムが必要なんですけれど、回転数が狂わないので、幅広の生ゴムだったりとかしてね。生ゴムは、熱を持つと、回転数が変わるんで、春秋使用だとか(笑)。結局、代替品が無いので、修理屋さんを最後に呼んだとか(苦笑)。

まぁ、もっとも、幅広の生ゴムが、どの程度の幅広さがいいのか、何度も何度も実験をし直してね。そんなんで、およそ、修理屋さんが来る時には、パーツとして、拾って来れない、手に入らないパーツを頼む時だけだったんですね。およそ、テレビから、ラジオから、洗濯機から、ポットから、何でも、電気が通るモノは何でも直しましたよ。おかげで、IT人生になった時、ほんと、モノの修理はお手の物でね。相性のあるメモリとか、グラフィックボードとか、自分の経験を、会社が積ませてくれるので、ほんと人生バラ色になる程、楽しい世界だったんですが、自分のPCは自作しなかったですね(笑)。Gatewayで主人が自作したんですけれど、DOSしか動かなくて、Windows3.1の頃の貴重な時代は、殆ど、自作PCのどこのパーツを変えて動かない、って試行錯誤で終わっちゃいましたよ。

ほんと、初めて動いたの、Windows95リリース直後で(涙)。お目にかかれて光栄ですって(失笑)。

自作しちゃいけない、金のかかる趣味だって思いましたけど(笑)。そんなんで、息子へ考えさせる時にも、車が欲しかったら、手持ちの道具で車を作れって考えさせて育てたんです。料理ごっこをしたいのなら、手持ちの何が、何に当たるか、考えさせてね。もう、一本の毛糸が、そうめんになったり、そばになったり、パスタになったり、ちゃんぽんになったり、ラーメンになって焼きそばになる。その発想を、叩き込みましたね。今あるもので、何が作れるのか。そもそも、パスタだって、ミートソースだけっておかしくないかと。

そうこうする内に、麻婆豆腐をパスタにかけてみたり、ソースであえたり、鶏ガラの出汁であえたり、もう、周囲のお母さんから「食の外道」とドンびかれる程でね。けれど、他のお母さんが、メニューで煮詰まっている間、自分はもう、フリーダム。特に何か買わなくちゃと思う必要もない。特売で出た商品で、様々なモノが作れる。そういう発想が、「野生の発想」に代表される、ブリコラージュというものなんです。

ところで、次男は、レシピを見て作るのが得意。長男は、あるもので作りだすのが得意。どっちがどっちではなく、二人とも、今の思考だけではなく、対照的な思考である両者を、両方ともほど良く学んでこそ、意味がある。どちらが偉いわけではない。けれど、極めて、戦略的になれず、偶発的な存在であり続けるブリコラージュが、人間を進化させ、様々なアップデートに対応させてきた。だからこそ、この思考は、若い世代に身につけてほしい技法だと、強く考えております。



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こんばんは。

 

 

人間って、汲めど尽きせぬ欲を持っているんですよ。

悪いことじゃないですが、誰にでもあるんだと思います。欲を持たぬ人は、それの価値を有難がらないだけのこと。

 

ビーサンで、富士山登っても、かなり感動が薄いのと同じ位、衝動的に呆気なく、犯罪犯すと、犯罪に対するモラルも、悦びも俄然低くなりますね。感動や陶酔感が薄れるんでしょう。

もしかすると、準備し出した所から、犯罪開始なのかもしれません。妄想や、計画を立てた時点から。

 

だから、念入りに計画して、計画遂行に、時間がかかり、手間がかかり、難しければ難しい程、到達時の陶酔感が痺れるほど強いんでしょうね。己の善と悪の葛藤も踏まえて、悩み悩んで、自決を決意すればするほど、崖っ縁感もプラスして満たされるんでしょう。

 

ところで、計画性のない衝動的な犯罪こそ、完全犯罪に繋がりやすかったのですが、今はそれを阻止すべく、色々対策は練られています。

 

ちょっとした万引きとかでも、微罪でちゃんと捕まります。見逃してくれたお店は、何回仏の顔があったのか、あなたが知らないだけかもしれません。

お金が減るのが嫌で、万引きをする人、万引きで、脳内麻薬が溢れる様になった人、色々います。万引きでさえ、この挙句。脳内麻薬の虜に人を変えてしまいます。

 

老人の万引きも増えてます。

 

結局、人生には、ちょっとしたスリルがある方が生き甲斐があると思った方がいいのでしょうか。

 

残念ですけれど、そのスリルは、ストレス解消ですよね。途方も無いこの先を、目的なく生きる人の為にあるストレス解消を、スリルで補うんですよね。乱れた性も同じでしょうね。

 

目的がないことって、怖いんですよ。

生きてる意味がわからない時が、1番の暗闇ですよね。やりたくても出来ない苦痛より、暗いですよ。周りが見えず、自分の方角が分からないどころか、どこにいるのかさえ、分からないのですから。

 

故に、人はそんな時、自分探しをしたり、色々な団体に所属するんですが、それは、それで心が落ち着けば「正義」です。

人にさえ迷惑かけなければ、それで、心が落ち着くなら、必要経費です。洗脳を解くとかは、ホント、それで他人が迷惑を被るからこそ、行われるんですよ。

人にさえ迷惑かけなければ、本来は新興宗教だって、騒がれません。

 

強引な布教が、宗教やマルチビジネスや活動家にいつもあるので、嫌がられるんですね。

後は、強引な布教の後のお金が、マネーロンダリングに使われて、他国へ行くケースもあります。入ったけれど、辛い思いをして、集団に所属する為にお金を払い続けて、借金する人もいます。そこから、犯罪もまた、起きます。

 

別に、辛い思いしてまで、そこの団体に入る必要もないですよ。世の中には、一杯団体があるんですから。いい師匠でも、相性もありますよね。団体の雰囲気もありますよね。

そこだけに執着してると、また自分自身を見失いますよ。

 

生きる意味なんて、普通はないんですよ。

偉くなりたい、有名になりたい、金持ちになりたい、でも、これはただの欲ですよ。欲は目標ってだけで、目標に向かって進むのが、人間の生き様。

でも、その欲、全てを満たした時、あなたがぶつかるのは、またもや、ガラスの天井。

 

決して見えない、排他的な差別に、これらを満たした時に出会うんです。上には上がいます。上は抜かれまいと必死なのでね。ガラスの天井があるんですよ。決して超えられない見えない天井がね。

あと、ポッと出の坊やや嬢ちゃんに、分からないし想像もできない世界ってものもあるんですよ。貧乏人には見えない世界、金持ちには見えない世界、どこにでも、ガラスの天井は存在するんです。

わたしもよくガラスの天井にぶつかりますよ。

 

そしたら、あなた、また、生きる意味や目的を見失うんですよね。

 

だから、目標は、生きる「意味」じゃないんです。ただ、人生は、「経験を通して、己をどれ程磨くかだけ」のことで、磨きたくなくて磨かなきゃ、成長しなくてもいいんです。自由です。

 

 

ただ、頑張る人の理由は、成長しなきゃ、しないなりに来る「後の祭り」が怖いだけなんですよ。

 

 

生きる意味は、「後悔しないように、日々の生活の過ごし方に最善を尽くし続けることにある」と思います。

 

欲をチラつかされると、誰でも弱いのですが、それ以上に、なーんにもしないで、なーんにもできないで死ぬより、悔いない程燃え尽きる方が得策でしょうね。

 

まぁ、犯罪をやった人は、現状の「復活や賠償」が目的。意味は、自分の罪への「後悔なきまでの償い」。やったことが、犯罪でも、後悔してないんじゃ、己の内なる獣の声に負けたんですね。

 

言われなくても、内省自省できなきゃ、人は成長しませんよ。

 

まぁ、それで天井にぶつかったりして、ストレスが溜まって、己の内なる獣に負けるようじゃ、この先、真っ暗ですよ。

 

霊能者って、割と、内なる獣に負けた人の後悔の無さを相談されることが多いんですがね。

健全さで解消してもらえませんかね。前向きに、普通に。一生懸命。そして、その先のその後の人生も、大切に健全に生きて貰ってもいいでしょうか。

 

健全さを失ったら、終わりですよ。まさか、単なる脳内麻薬ジャンキーで終わるつもりじゃないでしょうね。

成長しなかった「あとの祭り」で、あなた、将来、一体どうなるんでしょう?

 

 

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