こんばんは。

ウェンディは、元々お話しが好きな夢見る少女であったと思う。小さな頃は、誰もが、シンデレラになる日を夢見ている。「今のこの私は、第三者の手によって、素敵な、誰もが憧れる女性に生まれ変わる」のだと、女の子なら一度は夢想する。

そんな女の子の前に現れるピーターパンは、子供じみた男の子で、いつも心の中に「少年」を持っている。その少年に、何かしてあげたいと思った時に、シンデレラを夢見た女性は、ウェンディへと変わる。

母親のように世話を焼くウェンディ。ピーターが子供じみた事を言って、散々けなしたとしても、暴力があったとしても、自分にいつも「足りないところがある から怒られるのだ」と考える。シンデレラになる日を夢見ていた彼女は、男の選び方を間違ったんだろうか。目の前のピーターパンは、少なくとも、王子ではな い。王子は、いつも包容力を持ち、洞察力を持って堅実性の塊のようにいると考えられている。けれど、目の前のピーターパンはどうだ。お粗末な、鼻水を垂ら した少年のままである。下手したら、くってかかって、ひとり怒っている、割とつまらない男がその正体だ。

ウェンディは、シンデレラを夢見てた事もあって、自分に足りないモノについてはよく理解している。あれや、これやがないから、パーティに行けない事も、パーティの招待状が来ない理由も知っている、実は、聡明な女性である。

けれど、それ以上に「自分にはまだ足りない所がある」と思いこんでしまうのは、ピーターパンの世話をし始めて混乱をきたした時である。あれもやらなきゃ、 これもやらなきゃ、色々してあげているけれど、何故、ピーターパンは、いつもティンカーベルを追うのだろうか。自分に何が足りないんだろうか。ウェンディ は、考えに考え、自分を責める。まるで、息子を育てるように、大事に大事にピーターに接したウェンディの態度は、何がピーターパンに届かないんだろうか。

ティンカーベルは、非常に本人が無責任な存在で、気まぐれである。前向きで自分の事を考え、自分自身と言うモノを極端なまでに固持して持っている。故に、 ピーターパンの姑息なずる賢さ以上に、ピーターパンを振り回し続ける。ピーターパンが、依存でもしようもんなら、突き放す強さを持ち合わせている。人は誰 でも、自分を振り回す人に弱いモノだ。画して、子供のピーターは、ティンカーベルの大人の個性に振り回され続ける。そして、いつもいつも、行動を共にし、 どんな時でも意見を聞くのは、ティンカーベルが相手であって、ウェンディにはない。

ウェンディの元に、ピーターが戻る日は、自分の負け戦に、ティンカーベルからも愛想を尽かされ、どうしようもない男になった時だ。そんなピーターを、更にウェンディは、哀れと考えてしまう。

ウェンディは、自分が自分を抜け出そうと必死になる。ピーターが子供でいられるのは、ウェンディのお抱えがあってこそである。そのチャイルドな面を助長さ せる母親役を、ウェンディが拒めるかと言うと、中々拒めない。ウェンディの中のコンプレックスが、ウェンディがピーターに「対等であろう」と思わせる思考 を失わせてしまうのである。誰かが犠牲になったいびつな関係は、いずれ、環境の連鎖を産む。

つまり、ウェンディの息子は、ピーターパンの父親を見て育つので、ピーターになりやすく、ウェンディの娘は、自分を見て育つので、ウェンディになりやすい。環境が、次世代のピーターパンとウェンディを産み育てる。

類いまれなき、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶウェンディには、何が足りなかったんだろうか。ピーターの奔放性は、本当に社会に毒なんだろうか。ピー ター程の奔放性があったからこそ、偉業を成し遂げて成功して、ピーターパンを抜けて行った男もいる。けれど、どうして、目の前の男は、相変わらずこのまま なんだろう。何故、駄々をこねて、自分が全てを背負うのか。ウェンディには、何が本当に足りないのか。

ウェンディが振り回される理由には、ウェンディの持つコンプレックスが一番根底にある。ピーターは、ウェンディが持っているコンプレックスを熟知してい る。そして、それを解消させようとは思っていない。自分の言う通りに動かすには、ウェンディがコンプレックスを持ち続けてくれないと困るのだ。そのウェン ディの劣等感を、逆手にとっているからこそ、ピーターは子供でい続けられる場面を維持できるのだから。

ウェンディは、「人に嫌われたくない」という、人間の中の一番の劣等感を持っている。これが、ウェンディのアダルトチルドレンを一番表している。ウェン ディは、恐らく、幼い頃から、母親の過干渉や、父親の虐待などの中で、人に取り入るには、どうしたらいいか、と言う事を素早く考える事が出来る。つまり、 ウェンディは、ピーターに気にいられるには、どうしたらいいかと、素早く考えた結果が、母親役だったのだ。嫌われてもいいと思えれば、相手を突き放す事も 出来る。突き放せないのは、何故か。自分こそが、ピーターパンに見捨てられたり、嫌われる事を極度に恐れているからだと考えられる。

ピーターのような男を放っておくこと自体、別段、どうって事はない。けれど、ウェンディが永遠のジレンマを持ち、よそのウェンディが大事にするピーターに 対しては、かなり優秀なティンカーベルになっているのは何故かと考えると、女性は、いつもこのバランス(ウェンディになるのかティンカーベルになるのか) のなかで、誰もが揺れ動くからだろう。

そしてこの話は、奇妙で怖い大人の為の童話だったのだ。



どの男の中にも、ピーターパンは存在する。ただ、その人のピーターパンの要素をどれだけコントロールさせるかは、ウェンディの力量に準ずる。ピーターは、 放っておけば、抱え込んでもらえた分だけ、空を舞う、「地に足のつかない男」となる。