選択の科学
シーナ・アイエンガー
文藝春秋
2010-11-12

こんばんは。

ユニテリアンって言葉ご存知ですか。一応、いえっさは、宗教屋さんではあったが、いえっさは、神ではないと考える人間達の集団です。私の考えは、極めてユニテリアンに近いのですが、海外のお客様と話をするときに、ユニテリアンですとは名乗った事はないです。実は、宗教観と言うのは、その人が持っているファーストインプレッションに近いインパクトがあるので、「正直申告」をした事がないです。

今でこそ、無神論者という人間の社会的地位は出来てきましたが、ついこの間のほんの20年前までは、無神論者と言ったら、「頭がおかしいんじゃないか」と 思われる程、海外では人権がなかったです。それでも、ニューエイジブームが起きて、人は、自分というモノを深く探求をはじめ、それでも解けないものがある んです。

人間、心は理性だけで測りきれるものではない

これが、現在、行動経済学や、実験経済学にての人間を幾つか実験してみて、出る今のところの結論です。人間の行動は、分散されていて、結局、何か一抹の真 理というアルゴリズムがあるのかと思ったけれど、論理的思考は、つまらない、見栄やプライドで、幾らでも覆されると言うのが、現在の人間社会で分かってき た事です。

さて、そんな実験経済学中で、分かった事は、熱心に宗教を信仰し、傍目から見ると窮屈そうな生活をしている人程、実は幸福感が高いと言う結果が出ているん です。また、熱心な信仰者は、リストラなどをされても、「リストラをされたのは、不運だった」と、比較的ダメージが少ない楽観主義的思考傾向が強く、無神 論者やユニテリアンは、「リストラをされたのは自分のせいだ」と考え込む悲観主義的思考が強いという実験結果が現れました。

旧ロシア。物質は少なく、人は資本主義以上に縛られた生活ではありましたが、実際、それを懐かしむ人が多いです。東ドイツもベルリンの壁が壊されて、自由度がましましたが、自由度が少なかった頃を懐かしむ人が多いのです。

宗教は、あらゆる事に規制をかけて、人の自由を奪います。けれど、人にとって幸せだと感じるのは、寧ろ、自由が少ない中で暮らしていく方が強い。この事実には、私は正直衝撃を受けました。

人は、普通自分で判断して暮らしますが、疲れている時や、眠い時、何か判断に欠ける時、〜だったからこうしてたという「経験則」にて、考えもせずに処理を していきます。けれど、その経験則が少なく、自分で何もかもしなければならないという「自由」があるのは、却って「選択肢」が増えて、人の幸福感には繋が らないようなのです。

前に、自動販売機の話をしましたが、基本的に、自動販売機は、水かソーダか、果汁ジュースか、ってシンプルなカテゴリの中で、ソーダは、コーラかキリンレ モンか、マウンテンデューかって簡単な選択肢しかありません。却って、沢山の選択肢を増やしてみて、「自由」を探してみたとしても、人間の欲求を満たすも のは、実はシンプルなものなのだと、分かります。

その中で、余計な事に頭をめぐらせず、自分の限られた生活の中で、限られた選択を行う事が、傍目から見たら、「自由度のない生活」だと思われます。結婚に しても、親が決めた人間と一緒になったりする宗教の人間の、「離婚率」と、自由に恋愛して離婚する「離婚率」は違います。何故に、自由度がないほうが、 却って、人間は幸福感が得られるのか。それは、私にも残念ながら分かりません。

私は、自由度の大きな国「アメリカ」にて、アメリカンドリームを体験した事があります。アメリカンドリームの最たる事は、「どんな個性の人にも、どんな人 種でも、どんな格差があろうと、チャンスが一応に与えられて、そしてそれを、こなして、自分にあった身の丈で暮らしていける」という発想でした。「デキ ル」の一言で、チャンスを掴み取って、大きな暮らしを手に入れる人も、チャンスを掴み取れなくて、それなりの人でも、幸福感的には、同じなはずでした。

しかし、アメリカの追った理想は、果たして、世界中の人を幸せにしたのか。皆、チャンスを求めてアメリカに行ったけれど、成功した人はほんの一握り。そし て、大半の人が夢破れ、働かない方が保障が貰える(アメリカの健康保険は、加入にかなりお金が掛かる)というよく分からない社会となり、アメリカ自身が、 今持ちこたえるのに四苦八苦しています。けれど、私達から見ると、北朝鮮は、非常に辛いだろうと思います。

でも、現実、ソビエト時代を懐古する人も、東ドイツを懐かしむ人もいる。人って、結局、縛っても文句をいい、縛らなくても文句を言うんですね。そして、ア メリカンドリームなどで、均等に与えられているチャンスより、ソビエトで与えられていたチャンスの方が、機会均等だと思えると言うのは、やはり、今の日本 の考えどおり、

「リスクはなるべく自分で背負いたくない」

って思考が根底にあるんでしょうね。責任逃れでいた方が幸福度が増す。却って、自由なんかにさせたら、大学生がモラトリアムに陥って自殺を図ったりするように、自由なんか与えずに、馬車馬人生の方が却って、「幸福感があって、集団の求心力が増す」ってところが、パラダイムですわ。

寧ろ、無神論者や、ユニテリアンの方が、極めて人生に真面目に向き合っているのかもしれません。けれど、宗教は、馬車馬を働かせる方が美味しい利益にありつけるのですが、その馬車馬になった方が幸せ感が増すって事が、不思議なんですね。

案外、時代にきつく縛られていた方が、何も考えずに幸せだったかもしれません。少ない自由を楽しむのか、自由がありすぎて何をしたらいいのかさっぱり分からない人もいる中で、アメリカンドリームという、理想追求は迷走し続けています。

ただ、私は、アメリカンドリームでも、チャンスがあれば、きっちり立ってしまう人間ですが、チャンスをモノにできない人には、やはり、モノにできないよう な状態で、皆、「同じように差別せず、工夫もなく、進歩もなく、出し抜く奴の足は引っ張り、足を引っ張る奴は切り捨てたい」等と考えて進んでいく事も必要 なのかもしれません。ただ、宗教は、芸術を育て上げました。

何もかも否定して生きていくのは辛いけれど、何もかも与えられてしまったら、案外人間は困惑して、逆に進んで、元の檻に戻る。だからこそ、洗脳は中々解けないんだなと思います。

規則だらけの「エデン」を出る事は、勇気が要るんですね。






ヤバい経済学 [増補改訂版]
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー
東洋経済新報社
2007-04-27