こんにちは。


災厄って、今までは、実はブログに大きく書けなかった。

理由は、わたしが、そんなもんあるかと否定的だったこと、目の前で見たことのショック、そし て、実際に触ってみた感触(いい子は真似しないように)等が、あまりに衝撃的過ぎて、これは出せない話題だろうと思ってた。


災厄のひとつは、負の方向性を持った精霊がいるケース。

無論、精霊って言っても、何が何でもいい方向ばかりじゃない。自分にいい方向であろうと、自分が幸せをゲットすれば、その分不幸になる人がいるので、それは、あなたにとって、いい方向でも人には芳しくない。


もうひとつは、べたべたするスライムのようなもの。

鉱物オイルのようなべたべたした感じ。無論だけれど、祓えれば祓えるんだけれど、私の予想 斜めを突っ走ったのは、この災厄が、一家の誰かが背負ってたとする。

これを、祓ってしまうと、単なる祓い方だったら、正直に言えば、家族に移るだけであ る。非常に粘着性が強いものなので、あまり、ふっ飛ばしても、すっ飛んでいくということはない。

粘着性が強いので、ふっ飛ばしても、ごく近い何かに移ってしまうだけである。


それで、わたしは、自宅で人を拝見しようと決して思わないのは、この粘着性のものを祓うと、結果的に自分がもらうこととなる。下手したら、家族に障りが出る。なので、極力、自宅で物事を行わないのである。


ただ、遠隔の場合、この粘着性物質を引き寄せることは出来る。あと、送りつけることも出来るようである。

粘着性が強いので、こういうのが飛ばされてきて、びしっとくっついてしまった際には、どうしたらいいのかと考えてみたが、これは、とてもいい気の中 に入って、自らの張り付かれている中身の気をいい気に変えると、割と効果的である。

だが、基本的に、スライム状なので、粉砕することが、非常に難しい。我が家では、有難いことに、そういう粘着性のものがあったら、時間を掛けて少しずつ、壊して薄れていくと言う装置を作った。


ただ、勿論だが、使う術者にもやり方はあるだろうし、ついでに言えば、これを、壊して薄れさせていくと言う手法をとらず、遠隔で送ってきた当人に、スコーン と打ち返してしまうと、これが、また、どんどん大きくなる。

まぁ、大変災厄は処理に困るものであり、わたしも実は、ある時病院入院が終わるまでは、これの処理に困ってい た。

だが、現在では、処理法を、みつけて、そういう風に処理をすればいいのだと思う出来事があり、自身の中としては、楽である。


しかし、問題は、通年を通して、こんなブログでおおっぴらにやっているようなわたしは、人の恨みを買いやすく、人のねたみも買いやすい。勿論、リ アルの生活でも、自分の居場所は、他者を押しのけて作った場所である。なので、どこからうらまれても仕方がないと思っている面がある。


でも、それと、だから、災厄を送って人を恨んでもいいというのは、話は別である。


わたしには、その災厄を突破する方法を教えてくれる人がいなかった。だから、あくまで自己流に、あくまで、その時に、インスピレーションとし て得られる情報を元に、実験や検証を重ねてきた。自分が持っていない場合には、遠慮なく、災厄のあるところに赴き、そこで試したケースもある。そういう、 たゆまぬ実地訓練により、自分なりに、こうしたら、このスライムを何とかできるなと思う面はある。


ただ、ひとつだけ、使用を誤解して欲しくないのは、この特性を活かし、「災厄を気に入らなかった人に送ること」である。


勿論だが、過去に、そういうケースを聞かなかったわけじゃない。ひとが、自分にとって気に入らなくて、ついつい「不幸になればいいのに」と思うタイ プ。この人たちのこの行動から、そんな思いが、結果的に、思った相手の不幸に結びつくというケースは割とよくある。微妙なシンクロニシティというケースも あるが、この場合、粘着質のスライムもそうだが、負の方向の精霊を使うケースもある。


一番、こういうものから自分を防ぐにはどうしたらいいかと思う面で、考えられるのは、まず、人の恨みを買わないこと。

自分の立ち位置がどんなであろうと、その分のリスクは承知すること。リスクを防ぐには、ひたすら謙虚でいることや、当人の人格を問われることがすごく多いこと。

また、それでももらったら、どうしたらいいか・・・・・・・。

 

・・・・・・・・・・・問題はそこだ。

 

前は、竹炭とかに吸わせておけって思ってて、今でも、珪藻土等も、考える。けれど、身に染み付いた災厄は、なかなか取れるもんじゃない。だからこそ、ただ、塩風呂に入ればいいってことじゃなく、ただ、何かの行為をすればいいって事じゃなく、あくまで、

 

自分自身の内面を清らかにすべく、自身を精進させるって事が大事だ。


自分の中にある劣等感やコンプレックスは、結局、これらの災厄と凄く仲良しで、災厄が眷属になってもつまらなかろう。

だけれど、小手先のトリックを考え出す前に、自分の身の中に、何事も嘘偽りがないかどうか、そこを徹底追及することは大事である。神社のいい気に同調することも何もかも、そもそもは、自身の中が清らかではなくては、何の意味も持たないのだから。


それでも、災厄が多いとなると、災厄の変わりに何を得ているのかのバランスを考え、その後は、災厄を選ぶか、富を得るか、自由選択になる。

ただ、災厄って、そんなもんだよって話でした。

 


夏の災厄
篠田 節子
毎日新聞社
1995-03