こんにちは。
基本的に災厄はべたべたするスライムのようなものであり、非常に粘着度の高いオイルのようなものだという話をした。
オイルは、割と広がっていくのだ が、災厄は、広がるよりは、わりともったりと、その場に盛り上がるようなところがある。切って切れればいいのだが、切れば切ったで飛び散って、飛び散った カスからまた、災厄が増えるような始末である。
そんな理由で、非常にめんどくさいのだ。なんだか、単殖のアメーバみたいなものである。
災厄の1つ2つは、どんと来い位で、日常によくあることだからいいのだが、多くなるとどんどん、行き詰ってきて、やることなすことが裏目に出る。しかし、問題は、この災厄をどう避けるかということより、この災厄がどう増えるかと言うことに焦点を当てたいと思っている。
災厄は割りと、限られた数しかないのではなく、このべたべたするスライムは、割と増えていく。
増殖していくのだが、実際にこの災厄の増殖を防ぐと言うやり方が、実は建築学上にないわけではなく、照明の関係であったり、色々な色を用いることによって、更にその場に溜まることを防ぐことは出来る。
基本的に、人間は、ある種の匂いに敏感であり、ある種の匂いとは、実は、不衛生な香りが本能的には嫌いなのだ。だから、色々な場所でも、オープンし たてというのは割と、人に好意を持って迎え入れられる。だけれど、ある程度来客が来て、収益を施設の修繕費に向けて貯蓄しなかった場合、施設は次第に、す えた匂いになり、すえた匂いが人によって、生理的嫌悪感を産み、嫌悪感から、災厄が少しずつ降りてくるようになり、そして、溜まっていって封鎖になる施設もあ る。
そういう意味で、視覚に頼って増えることがメインではなく、実は、色彩感や、嗅覚に頼って、災厄は増えることが多いのである。
なので、よく、事故が多発する場所をリニューアルして、視覚や色彩感、嗅覚の災厄を防ごうとする計らいもあることはあるのではあるが、実はその場合、微妙なことを忘れていると思う。視覚の中で、全く気づかれない事なのだが、立地の抜群さである。
立地の抜群さというのは、事故が起こるところの場合、強いて言えば不条理ではあるが、仕方がない事だとも言える。
誰もが自殺したくなって、誰もが、自殺計画を立てる。それに対して、自殺とは、ある程度以上の強力な「力」に自分をゆだねなければならないので、致死量の薬物であったり、自動車に飛び込んでみたり、建物から飛び降りるにしても、それ相応のポテンシャルエネルギーがないと出来ない話である。
それ故、地域で特別高いところだと、それは良く目に付く。自殺者が、好んで飛び降りたがる場所がいつも同じなのは、べたべたスライムが、溜まりやす い場所であり、どんなにアロマのお香を焚こうとも、どんなに監視カメラをつけようとも、実際には、そこの立地が、あまりに不幸を決断するには、最適な場所 であるからである。
以前、わたしの実家の近所には、自殺スポットと言うのが、幾つかあり、飛び込みの場所とか、飛び降りの場所というのがあった。
なんでそこが流行っているのか、実は、健全な精神で出かけたときには、全く理解ができなかった。
その後、非常に自殺したい苦慮を抱えて生きているときに、ふとそこに行こうと思ったのだ。別に死ににいくわけでもなく、きっとそこに行けば、そこで 死に至る人の気分が分かるだろうと思ったからである。そして出かけてみて分かったのは、その自殺したい感情に刈られている人にとって、一種のそこが空間が 別になっているポイントなのだという事が分かった。
無論、それで誘われて自分が飛び込んじゃおうと思ったこともあった。それを止めるために、わたしの友人は、こともあろうに、私のほほを、ハイヒールでぶん殴って阻止した。
わたしの中の感覚としては、あそこは、生きている人からは分からない死角であり、死のうと思う人には、なんと表現していいか分からないが、特別な空間 なのである。およそ次元が違うと言うか、空気が違うと言うか。
健全な人には気づかない「ある意味の匂いとか、空気の淀みとか」とにかく、死にたいという欲 求を持っている人には、堪えられないスポットになっているのだ。
だから、そこを具体的に変えたいと考えるのであれば、これは、もう、その空間を壊す以外に他はないと思う。
遮断機の下りる寸前に、あの独特な感じが漂うとき、大体、飛込みが起きると思うし、実際、その時の感覚を元にして、時々、駅で物を投げたり、その人の 手を無意識に握って離さなくて、「ごめんなさい、人間違いだったみたい。」と、なんとも変なおばさんにわたしがなるのは、恐らくその空間の独特な雰囲気を 察知するからだろうと思う。
無論、全く健全な人にはわからない。
多少、大病を患ったり、体が弱くて、あれこれ勘が鋭くなった人には、わかりやすい独特の雰囲気の空間である。
それが、普段はない状態の場所に突如現れるのだ。そんなものは、闇雲に祓おうと思って、キエーって声を張り上げても何をしても意味はない。そもそも、あの空間が訪れないように策を高じるべきだからである。
そこで、一般的な健康な人が、心霊スポットに行って、分かることは特にない。その中で、特にメンタリティが弱くなった人に対して、そこにあった災厄 は伝染し増殖し、その人間を侵していく。そして、そのメンタリティの弱い人間の信頼度に応じて、他の人間もメンタリティが弱くなり、そこに向かって災厄が どんどん増殖していく。
ところが、これが、そういうスポットに出かけても、全くなんともならない人もいる。
ひとつは、サイコパス。そもそも、人を支配するためのネタにしたいが為にいくのである。支配するツールを探しに行くので、全く災厄なんておよそ取り 付く島もない。だけれど、それでも、そういうところを回ることを四六時中していると、やはり、少しずつメンタリティは侵されていき、結果的に、家中に問題 が起きることとなる。
もうひとつは、天然で弾き飛ばすことが出来る人。つまりは、災厄を見にはいけるが、災厄に「芯から同調しない」人である。
人には、それぞれ、ある程度、 自己犠牲精神と言うのがあって、これが、ひとの専属意識を満たすために必要なこととなる。ある程度集団に準じたかったら、サービス残業はつき物であると考 えるあの精神である。ところが、サービス残業をこよなく引き受けて、知らず知らずに、どんどん居る時間が長くなる人がいる。
つまり、キャッシュが溜まって、どんどん、仕事の効率が悪くなって、そして、結果的にサービス残業時間で終わらずに、仕事が出来ない人だと思われて、リストラ対象になるそんなひとである。
コンピューターにもあるが、ある程度、情報を得て働いたら、サーバーはシャットダウンしたり、コンピュータは、キャッシュのクリアとか、 クッキーのクリア、再起動をしないと、効率が落ちるものなのである。これは、機械ではあるが、学習していくと、結局余計なことまで色々考えてしまい、余計なこと に手をつけてしまいがちになる。そこを、きちんと、メリハリをつけて、自己管理が出来る人こそが、災厄を天然で弾き飛ばせる人なのである。
仕事とプライベートの境界線を良く守って、周りに準じていける人がいる。だけれど、時々、非効率な人がいる。非効率な人を見ていると、恐ろしいほ ど、仕事時間が長い。勉学にもいえるが、初めの頃は勉学のこつがわからないと、いつまで経っても、勉学の時間が長くなり、結果的に、量が増えれば増えただ け、勉学の時間がよりいっそう増えていく人がいる。非常にご苦労なことだが、ある程度以上になると、トリックやコツを使って、渡っていくことが、必要にな る。
災厄が重なってきて、どうも自分が身動きが取れないなと思ったら、せっせとこすり落としてもらって、弾きにいけばよろしい。
それを、あーだこーだ言って、策を練らない人は、結局は自己管理が極めて甘いのである。なので、溜まった災厄を、早めにクリアすることは、健全な普 通の人には出来て当たり前のことである。それを、メンタリティが弱い人は、結果的に、なし崩し的にその災厄をクリアせずに、いつまでも持ち越し、下手すれ ば、他力本願もいいところである。
自分で出来る部分を出来る限りやらない人には、災厄が溜まってて仕方がないのである。
さて、その死が近い人が分かる特殊な空間というのがあって、これが出来上がるまでに、割と時間が掛かる。
マンションのいつまで経っても空きが出ている部屋。良く人が出入りする部屋。そして、なんだか、よその人が勝手に入り込んで死んでしまう部屋。
決して、誰も住めないわけではない。住める人は、ちゃんといる。その部屋の特殊な空間に気がつかず、健全で、いつも明るく、キャッシュのクリアに長けている人である。
朋