こんにちは。

 

わたしは、家では予報官と呼ばれている。気象関係の変化を当てることに異様に長けているところから、主人が名付けたのである。

わたしが、気象関係に詳しいのは、小さなころからであり、必要に応じて観天望気という先日ここで出た話を行ってきた。自分の直感に関しては、自分で自分なりの理由があって、色々な行動を取る。

例えば、雨が降りそうもない時に、店の一番近くに車を止めろと言ってみたり、傘を何故か持っていたり、行動を全て洗い出してみると、わたしは実は 「雨が降る」と確信して行動していたのだと思えることが凄く多かった。しかし、同時に止むタイミングも知っていて、出来る限り無駄を避ける為、上手にその タイミングをぬって生活をしていたりする。

だから、いつもは、持って出るカバンをその日だけは、雨に強いカバンに変えてみたり、様々な不思議な行為を無意識で行う。

無意識で行う理由は、説明してもどうせ、雨が降りそうもない時に、「雨が降る」と言えば、馬鹿にされるのがオチである。

今でこそ、レーダーが発達して、その行動の理由は、Iphoneで確認する事ができる。しかし、そんなことができなかった遠い昔、わたしは、その行 動故に、大変に苛められることもあり、また大変に気味悪がられることもあった。ピタゴラ「不思議」スイッチにも残っているが、予感によってわたしが無意識 に手を伸ばした先に、急に突風が吹いて、紙を握ることもあり、大変周りも不思議に思ったが、わたしも、実は不思議だった。

どうして、そんなイメージが急に湧くのか、わたしにはわからなかったし、理由を説明するのには、不十分だった。

 

その内、自分で分かってきたのは、わたしは、「差」を見つけるのに大変長けており、気圧のほんの少しの差でも見逃さない観察力や、見ているわけでは ないが、その差が何をもたらすのかを無意識で分かるだけの洞察力があった。パターン認識に強く、パターンに差異があるとすぐに気が付いた。その感覚は、わ たしにとって当たり前のモノであり、わたしの家族は、様々な検査の結果、そういうわたしを普通に扱った。しかし、その反面、外であまりこういうことを話す なと告げてきた。

わたしは、差を見つける中で、差がある種の共通のビジョンを人に見せることもなんとなくわかっていた。

 

その中で、どうしても説明がつかないことが、この世に起きることも分かっていた。その理由が知りたかったのだが、誰も答えることはなかった。それど ころか、わたしは異様な目で見られ、統合失調症と、霊能者を名乗る人たちから遠慮なく言われてきた。わたしは、これが恐らく、父や母が恐れた直感の不安定 さを表現してしまったことによる弊害なのだろうと考えた。霊能者だけではなく、医者も遠慮なくそう言った。結果が何回も続きだしたら、医者はわたしを嫌が るようになった。

「理解されない時は、理解されるまで待て」と父はよく言った。父は、20年先に発見される事象をいつも研究してきたからこそ、そう言ったのだと思う。

情緒不安定さは、高校生の頃にはマックスになり、わたしは、当てモノが得意な人間となり下がった。理由のない当てモノだから、何度も何度も依存され ると、精度が狂う。沢山のトラブルを経験し、現時点でもタロット等を金を貰って客に行うことはない。ごく身内に行う事はあるが、読み方が独特なために、ご く限られた人にしか、公開しない。

しかし、今、コンピュータや、様々なシステムを自分が作る中で、思えることがある。

 

人間は、五感と言う感覚を備えた歩く情報処理機である。臓器は、それぞれ、人間が後から真似たがるほど、精密にそれなりの役目をこなすように作られ ている。そんな臓器を内蔵し、人間は情報を処理する。その情報を得る得方は沢山あるのだが、生活によって、鈍磨することもある。何かに熱中して、麻痺する 感覚もある。その感覚を、見過ごさず、意識し続けることは、中々難しい事であり、大人になってからは、余計、先入観が邪魔をして、確認を行う事ができな い。

 

故に、確認したり、検証したがらない人たちは、ただわたしの感覚に対して、「統合失調症」と揶揄して終わっただけだった。逆に、彼らはそれ以上を知 らなかったし、それ以上を知ろうとは思わなかったようである。また、キレて見せたり、見捨ててみたり、振り込んだ額に見合うだけの答えは出せなかった。

 

結局、わたしは、そういうことが、沢山の人に同様に多数起きる現象を見極め、色々な方面から分析し、それを数理統計に持ち込んで計算してみただけの ことであった。勿論、人の感覚には誤差がある。だから、直感は、100パーセントではない。でも、それでは、どうして、わたしは、地下鉄の流れを当てた り、タクシーが来るかどうかを当てたり、気象情報を当てるのかと考えたら、恐らく、自分にとってメリットのある感覚は、伸びる傾向があるのだと考えた。

これは、金には結びつかない。だけれど、自分にとっては、偶然セールに行きついたり、偶然お得なことになったり、非常にメリットを感じたので、伸び たのであろう。恐らく、他人にしろ示す感覚では、メリットの具合が違うので、伸びなかったのではないかと思う。他人にしろ示して、他人から金銭を得て伸び る部分もあるだろう。だけれど、その分、依存者を作り出して、自身の精度が落ちてしまった時の叩かれ方は、半端ない。

わたしには、そこまでして、他人を救う必要はないと今は考えている。でも、出来る範囲知ったことを残しておくのは、先人としての使命だとも考える。人を依存させるのは好きではないので、故に多少なりしか書かないが、それが、このブログである。

 

自分の生活の糧や、期待したい金は、別の仕事で稼いでいる。十分なほどの稼ぎがあるので、それで満足している。

 

わたしは、現在も、家の人間にとってメリットの多い予報官である。

わたしは、それでいいのだと思っている。

 

PS:ところで勘違いして欲しくないのは、統合失調症と言われた場合には、必ず医者に行って正確なリファレンスを貰うことが必要である。わたしの場 合は、わたしの行ったところの医師が、わたしを「精神病ではない」と考えた。だから、わたしは、それで縛りはなくなったが、今でも情報過多すぎる時は、 ちゃんと睡眠薬を貰いに行って、遠慮なく寝る。

その3でも書いたが、地震に関係した回転性のめまいの際にも、必ず医者に行く。そこは絶対欠かせないポイントだと思って欲しい。


うそつき―うそと自己欺まんの心理学
チャールズ・V. フォード
草思社
2002-04