偶然の科学
ダンカン ワッツ
早川書房
2014-04-01

こんにちは。


基本的に、社会で生き抜ける人というのは、やはり、たまたま、「環境に適応した肉体を持つ人」だと思う。昔は、割と適材適所が多かったが、今や、人々が目指す場所は、「いつも同じ」。だからこそ、この競争で負ける人が、でてくる。流行の仕事は、いつもそれを目指す人がいる。

同じ場所を目指す以上、向き不向きもあるが、「忍耐心、体質、持久力」は、皆、違うので、出来不出来と言うよりは、職による向き不向きがあると今では思う。

その中で考えるのだが、人は、適職でも、色々ストレスを抱える。幾ら恵まれた仕事であろうと、様々な人生のイベントの原因で、適職が苦痛になり、精神を病む人も、体に出る人も居る。

それで、今の世の中の傾向としては、適職であろうがなかろうが、メンタルに病状が現れた人に対して、対応が厳しい。

同じストレスでも、ヘルニアに出たとか、心臓病とか、そういう人には割りと寛大だが、精神病になった人は、厳しいと思う。真面目にやりすぎて精神病になる人も、中途半端の甘ったれの精神病もある。同じくくりにして欲しくないと思う人の意図は、もっともである。

しかし、これも体の「たまたま」の作りで、このストレスはメンタルに来る人、来ない人、人にはそれぞれ、精神的な地雷があり、一見見た感じでは全く分からない。

その中で相対的にメンタルを病まない職を探していこうと考える人は多い。

無論だが、「新型うつ」のような、明日もご静養、明日もご静養、疲れすぎたので、その次に行かなくてはならない仕事は休んで、その夜からご静養という話は、誰も受け付けない。しかしながら、 「やむを得ず、出れない」、「やむを得ず出れない」、ということが重なると、現場で回すリソースが足りなくなるからこそ、職場は一番困る。そりゃ、当人としても目処が立たないことは焦りに繋がるとは思う。だが、よくよく考えると、その当人に一番向いていなかった仕事なのではないかと思う事もある。

ただ、闇雲に、みんな同じ職を求めて、同じような形で同じような競争を展開しても、負ける人は勝った人の倍以上出てくる。

負けたと思う前に、その仕事は向かないと思って欲しい。同じ分野で等しく、すべてに「1番」である必要なんかないのだし、それこそ、向き不向きはある。


人は恵まれた境遇にいながら、「もっと遥かに適した場所がある」という願望が捨てきれないのは、今の居場所で、十分に認められていないからだろうと思う。それで、もっと頑張って身体を壊すのではなく、精神を病みましたとなると、評価はもっと厳しくなるだろう。

大体、出来る奴は言う事が違う。「こう言う事をしてくれなかった」と人を責める言い方ではなく、「自分が足りない」「準備が足りなかった」「時間内にできる質が低すぎた」こういう言い方をして、内部を引き締めようとする。あなたは、どっちを同僚に持ちたいか。昼休みに、愚痴を言う同僚か。それとも、ストイックに頑張り続ける人を応援したいか。

特に、以前のような日本の仕事の質では、顧客は満足しない。その努力さえも、「神がかり」で頑張ろうとする人には、もっと神は厳しくなると思う。