こんにちは。
嘘をつく人は、大体が「やましい」と思っていれば、それをどこかでバランスをとろうと、「やましくないと思わせる行為」を行ってしまう癖があります。
それでもし、嘘をついている人が、真剣にあなたをだまそうとしているのだとしたら、その人の目を見てみるといいと思います。相手の目は決して笑っていません。笑うべきときに、笑っていません。理由は、あなたの行動を冷静に観察しているからです。
それが、目が笑っていると信じて、嘘つきの嘘にだまされる人もいますが、どうなんでしょうね。笑っていない目であっても、見ている人が「この人は嘘をついていない」という確証バイアス(先に結論があり、その結論を裏付けるようなものしか受け付けないこと)で相手の目を見ていたら、確かにそう見えるかもしれませんね。
不倫などでもそうですよね。この人、「妻帯者じゃないかしら」と思いつつ、「嘘だ」と打ち消したい自分がいたら、やはり、笑っていない目を、見当違いのところで笑っている目にすり替えて、笑っているから、この人はシロって思ってしまいますよね。
しかし、心底自分は悪いことをしていないと思って、嘘をつく人は、表情やしぐさのどこにも嘘が出てこなくなりますね。ねだる人、たかる人、それが悪いと思っていないなら、表情に出ることはありませんね。
それで、嘘をつかれて、どうしてあの人は嘘をついたんだろうと、いつまでも考える人にこんな話をしたいと思います。
嘘をつく人は、常習的に嘘をつきます。相手を選んでたわいもない嘘から、たかるための嘘から色々話します。でも、それを悪びれない人の考えは、あなたに一生理解できない、というより、理解しない方がいいのだと思います。
あなたは、犯罪を犯した人の心理を知りたいと思いますか。犯罪をどうして犯したのか、どうしてそんな欲望が出たのか、一瞬の快楽のために、一生を棒にふっても良いと思える人の心理をあなたは、理解し、納得することができますか。
まして、あなたが、その犯罪の被害者だったとき、どう考えるでしょうか。
相手の気持ちに無理によりそう必要はありません。相手は事情が合ってやった訳ではなく、相手はそれで楽ができるのであれば、どうでもいいという、要は後先の保身を考えないで行うのです。後先の保身を第一に考える人は、例え、ストレスが溜まったとしても、犯罪を実行しません。
何故なら、必ずばれるからです。ばれてないと当事者が思っていても、必ずばれています。
そこから、嘘をつく人の気持ちによりそう必要もなく、ただストレートに、どういう被害にあったかを割り出して、被害に該当するものが金額であれば、返済を迫り、金額で返済を迫ったとしたら、身に危険を感じる場合は、その件は「勉強代」としてあきらめ、他に、何かあれば、もう、その都度都度であなたが考えればいいのです。
ただ、決して行っては行けないのは、嘘をつかれた報復として、「同じ土俵に立って」、後先を省みず相手を懲らしめることです。
懲らしめなくては、相手は何も学ばないじゃないかと思うと思いますが、相手は決して学ばないと思った方がいいでしょう。あなたに嘘が通用しないのであれば、別の人に嘘をつきにいく。そういう人がいるので、別に対象者が変わるだけで、あなたが浴びせたい痛恨の一打は、それ程相手に響きません。
昨今、職場でも内部告発などがありますが、内部告発をするなとはいいませんが、わたしは、内部告発を行って、結果的に後に不利になった人を幾らでも見ています。職場は、そんなことで傷つきません。職場の名誉は、そんなことで傷つけることができないのは、別の職場も同じようなものだからでしょう。
後先の保身を考える人は、必ず努力を行います。なので、その努力が正しい方向へ導かれる時は、基本として、こういう後先を省みない相手を切り捨てて進んでいくことが必要となります。
一見合理的なやり方ですが、切り捨てられる人からしたら、結局は周囲に対象者がいなくなってしまい、嘘をつくこともできず、見捨てられて孤独な終わり方となりますので、短いスパンで報復するのか、長期スパンで報復するのかを考えれば、簡単なことだと思います。
嘘をつく人の心理を理解し、無理により添わなくてもいいのですよ。無理な怒りは捨ててしまい、つまらない人を記憶から抹消すれば、結局はその人間は、どこかで通用しない人生が始まります。
でも、人は意外と弱いものです。見捨てられたくなくて嘘をつくこともあります。その度合いがどれ位、魂の中で重さを持つかどうかを、神は判断しません。
大勢の人のジャッジで判断されるのです。
だって価値観ってそんなものでしょ。
朋