こんばんは。

瞑想でどこまで何ができるかという事を、実際に実験したことがあります。他に、ヨガで心拍が落とせるのかどうか。落とした際には、どんな感じなのか、また、実際に、「カテーテル検査」の際に行ったこともあり、その際に、その状態の心電図を医者に診てもらったことがありました。

通常、こんな実験をやる人はいないかとは思いますが、実際にわたしは、不思議だったので知りたかったのです。

そこで得られた結果としては、

瞑想で落とせるポイントとして、ベータ波、アルファ波、シータ波、デルタ波と呼ばれる幾つかのモノがあります。アルファ波は、ちょっとリラックスした際の感じで、最近騒がれたのは、シータ波と呼ばれる、寝落ちする前の完全なリラックス状態、デルタは、既に、半分うとうとした状態だと記憶しています。

若い頃、アルファ波の音楽が流行りまして、その当時そういう音楽を故意に作れるのか、だとしたら、どういう音階がふさわしいのかを研究する機会があり、その機会を思う存分利用させていただき、刷り込み(サブリミナル)を含めた研究をしたことがありました。

その当時は、アルファ波で精一杯で、それ以上の試みは余りありませんでしたが、実際に自分の体験として、高校の時、あまりに英単語の記憶が悪いので、寝ながら記憶したことがありました。
実は、寝ながら記憶すると、かなりの英単語を一気に覚えられるので、大変に便利でありました。ですので、追試の追試位になった頃、熟成されたわたしの「記憶力」方法がむっくり目を覚まし、英単語を一気に覚えて、追試をパスするという事がありました。

しかし、この記憶は意外と一日持てばよい方で、あまり長時間の記憶に繋がりませんでした。
そこで、改良に改良を重ねたのですが、量は増えるけれど、決して持続は良くないという結果を導き出してわたしの高校の時の実験や、大学の時の一夜漬け試験はこんな形で、終わりました。

アルファ波の誘いに乗ったのは、たまたま、大学に入った時だったのですが、大変面白い試みだったので、そのメロディにおける規則性を探してみようと思いました。それ以降、すっかり忘れてしまったのですが、病気になった際に、シータ波というビジネスが横行していることを聞き、それなら、自分でシータ波、デルタ派まで行こうと考えました。

さて、これらですが、基本は、ビートの速い音楽を聴き、それに心拍と呼吸を合わせていくようにします。その後、少しずつ、少しずつ、ビートを遅くし、ゆったりとした音楽に変えていくように、選曲をしていきます。すると、完全に最後の方は、大体はキリスト系の音楽ですが、完全に、起きているけれど、デルタ波まで移行する事ができました。

この曲の選択を覚えて、ビートの速い時には、チャクラの色を「第一チャクラの赤」から設定して、一曲で、チャクラ2つを制覇するように少しずつ選曲をしていくと、最後の方は、「第七チャクラの白」までいく事ができます。すると、完全にその時は、
「理性的な受け答えができない程、おっぺけぺーになった自分がいて、その自分でいると、リラックスすることができる」ことに気づきます。

しかし、これは、自分で作ることができるのですが、わたしだと、選曲が平井堅とか、ビリージョエルとか、色々なモノが混ざります。そして、この曲を歌いこんで、リズムを完ぺきに覚えてしまうと、既に聴くことを必要とせずに、思い出して口ずさむだけで、心拍も、波長の変化も思いのままとなります。

非常に呼吸も大事なことなので、呼吸をしながら歌うってことが、覚えていく大事なヒントとなります。

そして、心拍を起きていながら、デルタ波まで落として、カテーテル中の医師に確認して頂いたのですが、「真夜中のわたしの心電図の波形」と同じものを、切羽詰った緊急時に作ることができました。

では、その一歩手前の「シータ波」では、どうなるんでしょうか。

これは、子供が寝る前になって、眠くなってくると、段々手があったかくなりますね。あんな感じに、自分が緊張して張りつめていた体温が、上がってくるのです。この状態が、体にいいとされるのは、体内の体温が上昇して、自己免疫力が上がるからでしょう。
しかし、これだけでは、結局は、何の効果もありません。ただ、体温上がったね、良かったねで終わりです。

ここのこのシータ波の最中に、しっかりと記憶したいことを、寝落ちしながら覚えると、記憶は増えます。ただ、一時的な事であり、本当の記憶は、何かと何かに結び付いてこそ、長期記憶に繋がるので、なかなか、あなたの記憶にずっと残らないのであれば、この記憶方法ではダメなんです。
わたしの真の記憶力の良さは、「不謹慎な出来事」に結び付けて覚える癖です。いつも、ブログでお話ししているように、「089−4989」となったら、「オバQ、四苦八苦」と覚えるなり、「ゆれたおっぱい、Eカップ」とか、そういうエロ系に結び付けて覚えるから、記憶力がいいんです。
ただ、人に誇れる記憶ではないので、時々、どうやって覚えたかを言えと聞かれると、大変つらい思いをします。

さて、寝落ち寸前シータ波は、割と面白いですよね。

でも、それ以上の状態で、果たして疲労や、何かが取れるかと言うと、実際のところ、疲労物質を流すのには、わざわざ、寒いままで、シータ波にならなくても、風呂に入ってあったまって、その後、段々冷めていく段階で、容易に、風呂で温まった体温が、体内の疲労物質を流してくれます。そうなると、あたまもぼけっとするので、あたまの疲れにもいいのですが、頭の疲れは、できれば、シャンプーの際に、しっかりと揉んでいただいて、そこで、解していただきたいと思います。

頭も結構、凝りますからね。血行促進は、揉みで解すべきです。

しかし、さてそれ以上の効果を、瞑想や妄想に費やす場合、大体、寝る前って、自分が考え込んでいる事柄に対して、自分に無理のない連想ゲームをしていくようなもんなんです。

かっぱ → かっぱ巻き → すし → いくら → しゃけ → セブンイレブン → おにぎり → こんぶ・・・・。

わたしが、恐らく寝落ちする前に、河童の事を考えて寝落ちしたら、こんな感じです。セブンイレブンは、単語的に長いですね。こういう場合、ここで覚醒してしまいます。なので、そういうケースは、コンビニで決まりです。
つまり、自分に無理のない連想は、前の単語の文字数より、若干多めか、少な目、そして、できれば、濁音を避けるなりしていくようなんですよ。

だから、あなたも、あんまり、頭が色々な案件で一杯になった時、まさか、こんな脳天気な連想ゲームを楽しめる状態にはありませんよね。でも、寝るってそういうもんなんですよ。無理のない状態に自分で自分を導いて、眠りにつくんです。
寝た後は、レム睡眠とノンレム睡眠の交互で、あなたの体は休まったり、脳がキャッシュをクリアして休んだりします。脳の記憶に対する整理は、寝なくてはできません。よく病気の方が、「寝なくても全然平気」とか、「万能感」を繰り広げて、周りを困らせますが、ロングスリーパーはロングでショートスリーパーに変化する事は少ないです。

少なくとも、わたしはそもそも、ショートスリーパーですが、無理に長く寝ます。そうしないと、頭のキャッシュがクリアにならないからです。そもそも、記憶力が非常に良いので、キャッシュのクリアに時間がかかります。

出ている脳内物質をきちんと抑え、自分が心地よくなり、多少なりとて、安全空間なり聖域で眠ることは凄く大事なことです。
人にとって、「就眠儀式」は大事なものですが、その就眠儀式は、リラクゼーション音楽を聴く人も、お香を焚いて眠る人も色々います。しかし、どんな方法でもいいので、必ず寝ることが大切です。また、良い睡眠は、よい記憶力を引き出します。質の良い睡眠をどれくらい取ったか、それで、記憶力もやる気も、落ち込んでいた気持ちも随分と変わります。

就眠儀式の中で、以前わたしはアロマを愛用していました。
最近は、寝る寸前まで、Twitterを読んでたり、コミックレンタを読んでたりします。それで、時間を見て、そろそろ寝ようかなと思って目をつぶると眠れるようになりました。
まぁ、日常、きちんと体を動かすから眠れるのですが、この肉体疲労も程ほどがちょうどよい眠りを呼びます。

そういうことで、瞑想していく中で、あなたが困難だと思う面があるとは思いますが、あまり期待しないで、修行中の僧侶が、「覚醒した!」とか言い出したら、多少、「統合失調症」の気を疑って、それと、肉体疲労と精神疲労の面を疑って、あげるといいと思います。

カルト宗教施設では、大麻を暗黙で焚いたり、睡眠薬を飲ませたりします。そうすると、夢うつつの状態になり、「覚醒した!」と勘違いするようになるので、お手軽な「覚醒グッズ」ではあります。
しかし、大麻は世界的に合法化の動きはありませんし、そもそも、そういう風に煽る人は、数年前からいて、しばらくはいなくなったのですが、針小棒大に騒ぐ陰謀論コンテンツのひとつです。

しかし、麻畑で、お手伝いをすると、妙なワッフル感は出てきます。しかし、一時的なものです。

安易な覚醒グッズを使ってまで、人は何を求めたいのか、危険ドラッグを含めて、わたしが思うには、「究極のリラクゼーション」を探しているのだと思います。セックスも、リラクゼーションになりますからね。お好きな方はお好きでしょうし。
しかし、全て自分でやろうと思えば、オリジナルは作れますし、意外と簡単です。極めてみる分には、害はありませんが、ただ、睡眠時間を少なくして、とにかく、肉体疲労の蓄積した後の覚醒感に囚われていただきたくありません。

霊能力と統合失調症は、いつも隣りあわせです。
あなたが、もし、自分のドーパミンの蛇口を壊したくないのなら、できれば、限界を感じたら、限界でとどめていただきたいと思います。ただ、得られたと思った霊能力も、実は、山を下りたての修行僧は、勘が冴えているけれど、しばらく俗世間にいると鈍ってきます。
それと同じく、定期的にやらないと鈍ってしまいます。すると、あなたはその状態を飢餓感に襲われたように、また身に着けたいと願う。狂ったように修行したがるあなた、狂ったように麻薬を欲しがる人と似ていませんか?

流石に、健全ではないなと思いますけれど、いかがでしょうか?




ニーチェ先生〜コンビニに、さとり世代の新人が舞い降りた〜 1

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これを読むと、コンビニ店員は悟りへの修行だと気づく。