こんにちは。
エネルギーとか神とか、そういうもんをどうやって定義したかって事を書こうかなと思いましてね。
基本的には、エネルギーも神も、波長の中で存在するから、色ってのがあります。
まぁ、人の視覚って意外と、あやふやなもので、人の嗅覚って意外とあやふやなもので、どんな感覚にでも、必ず成長したら成長しただけ、先入観が入る。それが、全く先入観がない子が、部屋の隅を指さして、ワンワン、ここ。ワンワン、ここ。ってやることあるでしょ?いや、うちの次男坊がそういう子な んだけれど、実はね、ワンワンって表現も、先入観。片言の1歳半がどこまで頼りになるかは置いておいて、ワンワンのようなものがいる、つまり、四足でワン ワンに似ているものがいるって表現なんだよね。子供の場合はね。
ただ、反対に、うちの長男坊のように、「うわぁ、軒先から、大きな顔がぶら下がってたぁ」ってなると、これ、どういう先入観なんだか、よく分からな いです。ただ、その後事実関係をよく洗い出してみると、実は、そこで、首をつった人がいた。たまに、そこに出るらしい。それが、どういう条件のもとで出る かはわからないので、首をつった人の家からは、引越ししましたけれどね。
まぁ、彼らの表現聞いていると面白いんですわ。
結婚式のような人が家中歩いていると、長男がいうんですが、どういうことかよく聞いてみると、「マリアベール」というベールをかぶった人が家中を歩 いているとのこと。羽の生えた白いゆったりした服を着ている人が歩いている時もある。腰に、金が見えるので、なんだろうね。ベルトかなって。
・・・・・・・・・・・・・・・。お前、それ、花嫁やない。マリアや(涙)。
マリアベールは、そもそも、マリアがそうやって着けるからマリアベールだろう。経験なカトリックなら、ミサの際には、頭からレースかぶってんぞ。そ れより、羽が生えた人はなんでこんなところをウロウロしているんだろうね。探しものがあるのか、おとしものなのか、ただでさえ狭い家が、もっと狭くなる わって言ってやれって思ったんですわ。
さて、んじゃ、神とか、エネルギーってどうやって定義しているのか。また、どうやって呼ぶんでしょうか。
その前に、先入観という知識の前に、人には幾つか種類があって、そもそも、真っ白なキャンバスに、新しいものを描けない人っていうのがいるのね。
そういう、何かを生み出すクリエイティブさと、精神の不安定さというのは、いつでも隣り合わせなんですけれど、クリエイティブに走れば、論理思考はおろそかになるし、論理思考で走れば、知識だけで、なにか新しいものが生み出せない自分となるんですよね。
そこって、すごく微妙なバランスなんですよ。
知識で、なんでも答えられるって分野であれば、活躍できそうでも、クリエイティブで、いつも斬新なイマジネーションを生み出す人とは、明らかに脳の 使い方が違うんですね。発達の仕方も変わってきます。柔軟に考える部分という面があってもいいのではないかと思うんですが、知識武装というのは、恐らく当 人における、何かわからない、正体不明のものに対する恐怖心からくる「理論武装」かなと思うことがあります。
だから、知識だけに偏る人は、中々イマジネーションが難しいですよ。神を呼ぶって言ったって、神がイメージ出来ない。基本はね、既存の先入観の中で、イメージしていくんですよ。
酒の神バッカスっていったら、どんなものを思い浮かべるか。そういうことからの連想キーワードで走っていける人と、そもそも、アルコールに酔った感 覚を既に自分の中に知識として持っているのか、それひとつにしても、神なんて、エネルギーなんて、幾らでも解釈が変わるんですよ。波動や波長一つも変わる んですね。
それで、万人が見て、万人の様々な価値観の中で、それでも、これは、みんなが見て「酒神バッカスだろう」と思われるものが、現在の正解になるわけでね。まぁ、そんな感じで、神とかエネルギー体の呼び方なんてあるんですよ。
色彩もそうですけれど、実際は、個人個人、若干色彩の認識が違うんですよ。同じ赤でも、全く同じに見えているわけじゃないんですよ。生活様式が違う だけで、様々に見えるんですね。でも、赤を並べておくと、うーん、青ではないから、赤かなって感じで、結局、その波長の長さの光は、赤と認識されているん ですね。オレンジと赤のところは、判別微妙な人結構多いです。
ダイヤモンドでも、DカラーとEカラーは、実は、鑑定者の感覚で決まっています。鑑定者が、Dだって言えば、Dで。Eだって言えばEで。いい加減で すが、そこを測るものがないので、感覚で決まります。基本的に、似たような色彩感覚をもたせるように訓練していくので、似たような判別を覚えるのですが、 訓練しても訓練しても、結果的には、身体的な判別者の特徴によります。
なので、マスターストーンという色見本を用意して、色見本で仕分けていくと間違いが少なくなります。
と言うことはですよ。同じ宝石を見ても、同じ石を見ても、万人が同じ価値観を得にくいのは当然なんですね。
すべての人が、キラキラ光った色の中に、同じ色が見えるわけじゃないんですよ。
それ程、あやふやな、わたしたちの色彩感覚なんですね。赤といっても、赤も、微妙にワインレッドが好きな人もいるし、微妙にピンクな赤が好きな人も いる。それは、あまりに当然な、わたしたちの持っている目の特徴なんですよ。凄く精密にできてそうに見えてて、実は、色彩一つさえも、同じじゃないんです ね。
神ってのはまぁ、置いておくとしてですよ、エネルギーってのは、基本的には、先入観バリバリの中で、万人が見てそうだと思えるものに出来れば、それ で出来上がりなんですよ。まぁ、畑違いの話を持ちだして恐縮ですが、ゴッホを見て、ひまわりだなと分かる人はいいですよ。絵画を見て、
「何いってんだかよくわかんない(苦笑)」ってアートは沢山ありますでしょ。
基本的に、エネルギーもまた、アートなんですよ。
ただ、波長や波動ってのは、基本的に、ウェーブがあるので、ウェーブがどの位の長さかということで、色彩感覚として万人がそれを見て、幾つなら赤だ と思うんですよ。だから、逆に、神を呼ぼう呼ぼうとか一生懸命思う前に、色彩を作り出すこと、空間にその色を作り出せることって凄いことになるんですね。 万人が、青を見てクールだと思う。ついでに、ひんやりすれば、もっとクール。
こうして、どの人にも認定してもらえるものがあれば、それでいいんですよ。それが、始まりじゃないですか。
神の前に、色で始めても何ら問題はないですよ。色の次に、別途として、勢いや、エネルギッシュや、憤怒や、浄化や、色々なものをオプションとしてつけていけばいいんです。なんら、真っ白いキャンバスに描けない人は、先入観を利用するのは手なんですよ。
ただ、それで、偉そうぶる人ってのは、結局はその傲慢さが、エネルギーの質にも出るんです。傲慢さは、常に、誰かへの妬みや、誰かに負けたくないと いうプライドの高さからくることもあるので、そういうのが、質に出たエネルギーで癒されるとは思えないんですね。まぁ、傲慢な人は、傲慢系の神々をイメー ジしていけば、地のまんまでイケますよ(苦笑)。無理して自分を変えようとして、神をイメージするのなら止めませんが、傲慢系は、傲慢でいいんですよ。無 理する必要ないです。そもそも、無理しようとは思ってらっしゃらないと思われますんでね。
色ごと好きな人は、絶倫ゼウスとか(失笑)。潔癖症は、ディアナとか。神様も多種多様ですから、古今東西探していけば、今の自分が背伸びしなくてもマッチする人が必ずいます。まぁ、そういう風に作ってあるのが、神話なので、大丈夫です。
癒すってのは、また別ですよ。癒して「あげる」とかだったら、もう、そいつにしてもらわんでもええですわ。
そんなんで、首吊りで死んだ人の残像が見えるのは、これもまた、波動なのかというと、そうなんですね。その人の悔しさが残るってことより、見た人の ショックもありますし、何度もそこで思い出せば、定着もするでしょうしね。ある程度暗くて、ジメジメしてたら、人って必ず、そこに、マドモアゼル・貞子を 探したがりますしね。
ところで、わたし、最近、ホント半年かけて、修行しました。職場で仕事上、デキルようになったんですが、ばっさり、念をカット。相手の執着まで、斬り捨て御免(笑)。
なんとなく、こういうのって、やっぱ、妄想たくましく家に引っ込んで、あれこれ考えるより、実地でやって、経験積むほうが早いですよ。
ちなみに、わたしは、職種の都合で伸びた部分がありました。
あと、家の中をうろつく人に関してですが、あれは、うろつけと言っているわけではなく、なんで、よりによって、家の中なんですかね(涙)。よそんち イケばいいのに。もう、「マリアの突撃・隣の晩御飯!」ってやったら、面白いと思うんですがね。結構特定の人の家に出るんですよ。あの人って、意味不明で すわ。一番理解できない人の最先端を走ってらっしゃる。
しかし、この場合も、マリアさんというより、マリアさんと言うイメージに周りが先入観で見えるんですよね。本当に、警告して歩くのは、マリアさんで も、別の影武者だったりして、そこんところまでは、詳しく見ている暇がないんで恐縮ですが。大体、青い服、白い服、ワインレッド。
たまに、妖怪のようなカッコした、マリアさんって出てこないんですか。
聞いた限りでは、マリア観音止まりですわ。だから、やっぱ先入観なんですよね。
さて、そんな感じで、また、続きは今度。
朋
こんなん着たおねえさんが歩き回る我が家。
・・・・・・・・・・・微妙に魑魅魍魎だなと思います(苦笑)