ポムポムプリンの『パンセ』 信じる勇気が生まれる秘訣 (朝日文庫)
朝日新聞出版
2015-04-07

自分を知ると、信じる勇気が生まれてくるよ。神様より、ご霊験あらたかだから。自分自身って。でも、ストイックになる必要はあるんだよ。

こんにちは。


自分でも思うんですけれどね。エネルギーとか、神とかって、半分以上の人は、それに繋がれたことの「選民意識」ってありますよね。

ご利益もそうですが、実際に、本当に祟られていて、凄く大変な家ってのは、実はそんなにないんですよ。でも、わたしの婚家なんかはそうですが、あれは、どういう訳か、触った時に凄まじい悪寒と、凄まじい粗い波動をしておりました。

基本的に、このようなものに対して手で触ることは、こういう道を歩まれる方には、心得として知っていて欲しいのですが、触ってはなりません。直に手 で触ることは、あまりにひどい場合には、正直に言えば、色々害もありますし、思っても見なかった歪の中で、返り矢として自分に跳ね返ってくる恐れもありま す。

ですが、わたしが、なんでも触ってみて識別していたのは、実は理由があります。

わたしは、学生の頃、放射能の生体検査をする上で、放射線取扱を学んで講習も受けました。無論ですが、わたしは理系ですので、学科のカリキュラムの 中では、ゴーグルを着用して、「目」を守りながら、マニピュレータにて、実験をすることもあります。ですが、その当時から、実はわたしは、ゴーグルが嫌い で、講師に何度も注意されても、ゴーグルをしませんでした。ついでに言えば、濃硝酸と濃硫酸の実験の際にでも、濃硝酸も濃硫酸も、素手で触っておりまし た。

触ったので、手を拭こうと思って、白衣で手を拭いておいたら、白衣がボロボロになりました。

それで、暫くの間、わたしは、こんなずさんな実験の中で、指紋が薄くなることがありました。講師も、メンターも、わたしに対して呆れ顔で、放射能の 実験の際には、ついに、放射能は目に見えないと、散々父親に言われていたにもかかわらず、放射能物質を、真上から覗きこんでしまいました。それにて、胸に つける被曝バッチが、一瞬にして黒くなってしまいました。

父は、それを聞いて、「お前には、放射能に関してどういう拡散をするかは計算ができても、実際の放射能を使用しての研究は無理だ」と言いました。同 時に、その当時の研究室の教授も、講師も、わたしのずさんさには呆れておりまして、ついに、犬の生体解剖を行う際には、フィラリアが寄生している血液で、 その犬達は、フィラリアが、心臓を侵すんですね。心臓から、やけに草が生えていると思っていたら、実は、成長したフィラリアであったと言うことで、ラバー の手袋もハメないわたしに、教授は深くため息を付き、君は、安全な生体解剖を行なって成果を出せと言われる始末でした。

そういうずさんさがあったがために、わたしは、心霊の分野においても、手の感覚というものを大事にして来ました。

全く、波動を感じないこともあるし、粗い波動で苦痛を感じることもありました。そして、その中で、自分なりに処理してきたのです。これは、ある意味 であれば、わたしには、現時点もブロックできるほどのお助けグッズの供給先をいつも確保していたことも、安心に繋がりました。しかし、お助けグッズが間に 合わなかったときは、持ちこたえるのには苦労をしました。

ですが、通常の方々の感覚などでは、そこまでお助けグッズを、頻繁に買う必要ないと思います。無論ですが、エネルギーを覚えればいいという事ではあ りません。わたしは、結構後ろの担当者が変わるのですが、実はその担当者に馴染むまでに凄く時間がかかります。なので、あまりに早く駆け抜けていった理由 の一つとしては、それだけ、わたしが昔から悩んでいた問題が多かったという理由になると思いますし、誰も、教えてくれない中で、自分なりに解決策を考えな くてはなりませんでした。

なので、わたしは、わたし独自法を開発しておりますが、わたしの講座生であった「女子会」のみなさんは、全てが全てこの方法で習っているわけではあ りません。わたしは、わたしの手痛い反省点を踏まえて、女子会の人に伝えていますし、他にある程度教えている人にもそのように当たります。

決して、わたしの方法が沢山の人に汎用性があるとは思えません。わたしは、割と度胸があるので、なんでも素手で行きますが、汎用性はありません。

また、ついでに言えば、巷で習っていらっしゃる方で、講師に何かしらの疑問を生じた場合には、そこの見解の違いについて、離れていくのもひとつの手 です。講師は少なからずパーフェクトではありません。講師のやり方が全てではありません。教える中で、疑問を持ったら、一旦距離をおくことも大事です。

 

そして、ずっと訳がわからないけれど、同じ事を延々とさせられる人に関しては、その分野に関して、技を磨くのは、単なる努力じゃ出来ません。気が狂 うほどの努力の中で、少しずつ会得していくこともあります。ですが、同じ事を延々と課題として与えられる講師の人に対して、人間性に疑問を持ったら離れる のも一興です。また、講師当人の未熟さも、予め了承しておくことは必要です。

延々と行わせる講師に不満を持って、相談に来られる方が以前多かったのですが、一言言わせていただければ、我慢や堪え性がない人が多かったり、即、 有名になることばかり夢想して、地に足がつかない人、また、自身の既にお持ちの既成概念に囚われて、それを吹聴したいがために、講師の門をたたく人もいま す。

つまり、自分が有名になる足がかりとして、講師を利用したに過ぎない人もいるのです。

既成概念や、既にお持ちの持論を展開したい人は、謙虚さに欠けています。この道は、謙虚や学びを柔軟に取り入れてこそ、花開くものです。持論で有名 になりたい人は、そもそも、最初からご自身でおやりになればいいのです。その持論が、一般ウケするのか、大衆ウケするのかはわかりませんが、少なくとも、 上から目線であることは確かです。

どんな境遇の人からでも、学び取れるだけの柔軟さと、謙虚さがなければ、エネルギーなんて意味が無いですし、持論を振りかざしたいのなら、師匠なん ていらないんです。そして、自分の境遇を嘆く人。これも、向きません。境遇は、努力して、幸せになってこそ、人に対して説得力を持ちます。

ですので、不満や不平や、体型のだらしなさや、生活のだらしなさは、必ず、外見に表れます。

そこは、ご自身で鏡を見たほうが早いです。

 

ですが、何度も言いますが、何故、これをずっと続けさせられるのだろうという、疑問に対して、自身で答えが分かるまでは、その方は伸びません。

 

お寺などでは、下働きからずっと上に上がるまで、長いことかかります。つまり、何故こういうことをさせられるのか、こういうことから何が学べるの か、こういうことをさせられる必要性について、自分が自分で答を見いだせるようになるまでは、そのままで修業を続けることとなります。

 

人間は、思考してこそ意味があります。自分のしている何気ないことが、いつしか大きく実りを結ぶまでには、色いろご苦労があるとは思いますが、不平不満だけではなく、足りないものを自覚するためにしているんだという事は、ご納得いただきたいと思います。

 

その中で、これは流石に、医師法薬事法違反だなとか、ギリ法に抵触とか、疑問があったら、距離をおいてください。

 

という訳で、修行の心得でございました。

 

 

 

中二病でも恋がしたい! (KAエスマ文庫)
虎虎
京都アニメーション
2011-05

ティーンエイジの恋は簡単。「体」さえ出せば、成立する。でも、ピュアな思いを大事にしたいとか言い出すと、中々需要と供給はマッチしない。
大人の恋はもっと面倒。「資産」「家柄」「容姿」「スパイダーフラッシュローリングサンダー」(苦笑)
ちょっちょっちょっちょちょっと待て、鬼さん。