![]() | 野生の思考 クロード・レヴィ・ストロース みすず書房 このアイテムの詳細を見る |
こんばんは。
人間て、簡単に言えば、料理を作りますよね。レシピを見てから、材料を整えて作る事を、「栽培された思考」と申しましてね。システム設計したものをプログラミングして行くような思考の事をさします。始めに、レシピありです。材料は、決められてて、およそ、タイヘイファミリーサービスのように、人参30g、小麦粉100g、しいたけ2個のような切り口上で、出来あがるモノが予想できた状態でモノを作る事を言うんです。
反対に、野生の思考、この本では、違う意味を差しているんですが、あえて、分かりやすく方向性をつけて考えると、料理では、冷蔵庫にあったもので、「ありあわせ」を作る才能の事を申します。
分かりやすいですか。分かりやすいですね。本とは内容が遠ざかりましたが(苦笑)。
冷蔵庫の中に、今日は何がある。だから、全く、当初予想し得なかった料理が、食卓を飾るって事、よくありませんか?今日はこんなモノを予定していたけれど、何だか、出かけるのが億劫になってしまって、あり合わせのモノでいいわってなったら、えらい何だか、普段作らないような美味しいご飯を作ってしまったと。これを、「野生の思考」と申します。始めに、方向性を決めるレシピと、方向性を決める、材料がグラム単位で揃っている「戦略的なシステム設計」とは違います。
また、人間の進化ってのは、結構なメジャーアップデート(大きな更新)をしながら、それでも、「一歩進んで二歩下がる」事もあって、進んで来ているんですよ。人間てのは、過酷な環境の中で、便利な遺伝子を優先させて生き延びるんですけれど、過酷な環境が変わる事もあるでしょう。身体的に、今の子供達は、私たちとは作りが違う。それも、遺伝子の試行錯誤の元にある訳で、始めっから、神が「こういう進化を遂げて、こういう成長が正しいのです」と指定してあったら、人間、こうも迷わなかったと思います。
それを、人間が迷いながら進んで行くのは、環境によって自分達を変えて行く自分たちの作りに、何故なのだろうと疑問が湧くからじゃないんですか。まぁ、疑問が湧かない訳はないですよ。同じミトコンドリアを持つイブの子孫の私たち。イブ以外に女性はいた訳ですよ。けれど、全世界で、同じミトコンドリアの持ち主だけが生き残った。恐らく、その淘汰の意味や理由さえ、私たちイブの子孫には、一生理解できないんじゃないんですか。
このあり合わせの材料で、何か作ってしまう行為を「ブリコラージュ(リンク先はWikiPEDIA)」と申します。
私の場合、小学三年生の頃は、既に父の下請け企業となっていました。父は、近隣の人や、研究所の人から修理を頼まれて、電化製品を持って帰ってくる。家族総出で、電化製品の修理を承って、お小遣いを稼ぎ倒していたんですわ。そこまで貧乏な家計ではなかったらしいんですけれど、どうにも、電化製品の故障は、「朋父」までという暗黙の了解があって、あの当時の電化製品は脆弱だった。だから、頻繁な修理が必要だった。それを、父は始め、無償で受けたまわったんですが、どうにも彼が論文を書く時間まで失わせるほど、依頼が来る。画して、小さな下請け企業に、「朋」と「朋兄」がなった訳です。
下請け企業は、悩むんですよ。なんせ、何度直しても、そこが焼き切れてしまう。はんだごてで毎回くっつけるんですけれど、なんでそこが毎度焼き切れるんだか、自分たちで調べてみようって事となった。けれど、頼まれたものでは、実験が出来ないから、自分たちで、あちこちのスクラップ工場や、ゴミを漁って、色々部品を貰って来て、自分たちで、脆弱さが無い、アンプとか、レコードプレーヤーとか、スピーカー、各種電化製品をちょこまか、アップデートさせて考えて行くんですね。一時期、実家のレコードプレーヤーなんて、回転する輪同士を繋げているのが、本来は、業務用のゴムが必要なんですけれど、回転数が狂わないので、幅広の生ゴムだったりとかしてね。生ゴムは、熱を持つと、回転数が変わるんで、春秋使用だとか(笑)。結局、代替品が無いので、修理屋さんを最後に呼んだとか(苦笑)。
まぁ、もっとも、幅広の生ゴムが、どの程度の幅広さがいいのか、何度も何度も実験をし直してね。そんなんで、およそ、修理屋さんが来る時には、パーツとして、拾って来れない、手に入らないパーツを頼む時だけだったんですね。およそ、テレビから、ラジオから、洗濯機から、ポットから、何でも、電気が通るモノは何でも直しましたよ。おかげで、IT人生になった時、ほんと、モノの修理はお手の物でね。相性のあるメモリとか、グラフィックボードとか、自分の経験を、会社が積ませてくれるので、ほんと人生バラ色になる程、楽しい世界だったんですが、自分のPCは自作しなかったですね(笑)。Gatewayで主人が自作したんですけれど、DOSしか動かなくて、Windows3.1の頃の貴重な時代は、殆ど、自作PCのどこのパーツを変えて動かない、って試行錯誤で終わっちゃいましたよ。
ほんと、初めて動いたの、Windows95リリース直後で(涙)。お目にかかれて光栄ですって(失笑)。
自作しちゃいけない、金のかかる趣味だって思いましたけど(笑)。そんなんで、息子へ考えさせる時にも、車が欲しかったら、手持ちの道具で車を作れって考えさせて育てたんです。料理ごっこをしたいのなら、手持ちの何が、何に当たるか、考えさせてね。もう、一本の毛糸が、そうめんになったり、そばになったり、パスタになったり、ちゃんぽんになったり、ラーメンになって焼きそばになる。その発想を、叩き込みましたね。今あるもので、何が作れるのか。そもそも、パスタだって、ミートソースだけっておかしくないかと。
そうこうする内に、麻婆豆腐をパスタにかけてみたり、ソースであえたり、鶏ガラの出汁であえたり、もう、周囲のお母さんから「食の外道」とドンびかれる程でね。けれど、他のお母さんが、メニューで煮詰まっている間、自分はもう、フリーダム。特に何か買わなくちゃと思う必要もない。特売で出た商品で、様々なモノが作れる。そういう発想が、「野生の発想」に代表される、ブリコラージュというものなんです。
ところで、次男は、レシピを見て作るのが得意。長男は、あるもので作りだすのが得意。どっちがどっちではなく、二人とも、今の思考だけではなく、対照的な思考である両者を、両方ともほど良く学んでこそ、意味がある。どちらが偉いわけではない。けれど、極めて、戦略的になれず、偶発的な存在であり続けるブリコラージュが、人間を進化させ、様々なアップデートに対応させてきた。だからこそ、この思考は、若い世代に身につけてほしい技法だと、強く考えております。
朋

