こんばんは。

邪悪ときて邪悪の犠牲者のあり方についてです。

機能不完全の家庭に育っている人や、子供のころの環境や大人になっての環境が機能不完全であった場合、精神の成長に関して「アンバランス」になるのはよく あることです。アンバランスさが個人の中の比重に大きく出ると心の病にもなります。結局本人のそのアンバランスに対する苦痛度が病名になるかならないかの 分かれ目です。

大人になったら「自学学習」と皆は思いますが、実は大人は、体だけ成長しただけのことで、精神が成長しない大人など沢山います。

最近、地で精神年齢は幼いまま、年だけとった方が多いです。その成長していく年で学ぶことをせず放っておけば、しょうがありません。バランスは崩れ ます。大人は外見でだけその人を見ます。外見は大人ですし機能も大人です。でも、精神は未熟な大人がいます。そしてその人のアンバランスな成長に困るの は、そういう人が必ず「社会の和」を乱すからです。

そのアンバランスさを解くには、自分でアンバランスだと気がつくしかありません。どこがアンバランスか分からなくなった人には、心理カウンセラーが向いています。けれど、自身のアンバランスさを解きに行くのであって、「基本的に他者を責めて賛同を得る場ではありません」。

人は人の所為にして、進むのを止めたいときもあります。けれど、それでは何一つ進みません。責めていればいいのであれば、そういう場合は、心は病のままだし、自身は幼い自分を他人の所為にして、本来あるべき成長にまで持っていこうという気がないからです。

私の本当の願いは何かと聞くこの問題には、「自身がアンバランスだと思うものは何か?」って質問も含まれています。強い部分を寄り強大にしていきたいと 思っても、バランスが取れなくちゃ、実力は発揮できません。画して、スポーツ選手が精神力を鍛えます。それは、一発ここぞの時、実力をプレッシャーで押さ れないようにして発揮するための物です。

で、大人の自己解決能力を育てるというのは、簡単じゃありません。大人は変な高いプライドがありますからね。まして義務教育ではない、追加補習ですので、金銭がかかりますし、沢山問題はありますね。ですが、本人が答えばかり知りたがって、成長を止めれば、答えを得ても本人の精神は未熟なまま です。
その答えは、何の答えにもならないでしょう。自分が求めるYESな答えだけが答えだと思い込む人は、こういう占い師や様々な人を渡り歩きます。その 前に待ってください。ご自分の中の努力は何もしないんですか?と。

結局、邪悪な人の犠牲にあった人は、精神力を強化して、「自力でその傷を乗り越えていかなくてはならない」んです。でも、その事が沢山の被害者を苛立たせ ます。相手はいつまでも成長しない、悔やまない、自省もしない、楽しく遊びまわっている。なのに、何故自分だけこういう目にあうのか。悔し くて悔しくて言葉が出ない。

非常にごもっともな意見ですが、それには答えがありません。
理由は、邪悪な人には、人に対する情けが1%も転がっていないからです。人を傷つけるのは平気でも自分はちょっとでもかすっただけでも、機嫌が悪くなる人です。これを改修させたいと被害者は思い、痛恨の一撃を与えたいとまで願います。

理不尽な話ですが、無理です。考えるだけ無駄です。だって、情けがないんですから。作れって言ったって、これは更生で生き直しをさせて、非常に苦痛を与えて育て上げても微妙なところです。情けがない人に情けを作るのは難しいです。その感覚を覚えさせることが難しいのです。

気質もあります。遺伝もあります。けれどそれ以上に、精神力が弱い人が精神力を鍛えようと思うのは、死に直面したとしてもできません。人の本質はそんなに 簡単に変わるものじゃありません。その人は今まで自分の価値観を崩されてきた被害者でもあったりします。その為に、鉄壁の要塞を築いているわけです。
この 要塞が簡単に崩れることがないように常にメンテナンスをしています。つまり、この要塞を堅固のものとして、幼い精神未熟の自分と境界線のない自分の自我を 守っているのだと考えられます。非常に危ないバランスです。だから、暴力的に守るのです。一方向からしか見ないのです。

こういうまったく不条理な人を見て、被害者は深く失望します。情けを見出そうと思っても、一抹の情けもない。画してこういった被害者の悩みが長期に渡るの は、「相手への制裁を自分と同じだけ求めてしまう」部分と、「あまりに自分の生命や自我や価値観を崩壊させられる出来事に直面してしまい、自分が取り戻せ なくなる」からです。
ですが、相手や起きた現象に何か因果関係を求めているうちは、何も進みません。それどころか、悩んでいるうちは、不条理な邪悪と全く なんら変わりません。被害者意識で物事を語ってばかりで、何一つ成長しなければ、それは「鉄壁の要塞を持たないタイプの邪悪」でしかないのです。

「何故その人に引っかかったのか」、まずはそういう所から、自分が痛い思いをしてきた今までを冷静に客観的に見て、自分はどうあれば、ここを抜け出せるだ ろうかと考えなくては、恨んで妬んでおしまいです。何の魂の成長はありませんし、恨んで妬んでいる間は、違う意味で邪悪な人になります。
誰もあなたが嘆いていることに長いこと付き合う余裕はありません。それをあなたは周りは冷たいと言い出せば、自分の傷を見せながら、人をお構いなしに傷つける、邪悪の新種としかみ なされないままです。

大人は、成長が終わったのではなく、一生学びです。ですが、大人になって身体の機能的に成長したことだけ大いに行う反面、精神的に未熟な人が多く、その人たちが次世代の邪悪になります。

邪悪の因果はめぐるのです。

それを自分の代で終わらせ、回避するには、自分が大人になって邪悪から縁を切り、邪悪の誘いに乗らないように受け流していくしか他に方法がありません。険しい道です。

ですが、邪悪のままでいるよりは、「遥かに楽な道です。」

邪悪のまま、鉄壁の要塞のメンテナンスに四六時中心を奪われ、気になって気になって、暴力行為を繰り返す間は、実は心など満たされませんし、幸せも感じま せん。ありとあらゆる出来事が猜疑心になり、自己正当化のためにそりゃいらない苦労も背負います。邪悪を貫くのは、邪悪から卒業して大人になるより険し く、不幸なままです。そうして、邪悪はろくな死に方を迎えません。最後まで、心の安堵の地がないままだからなのです。

これ以上不幸な出来事はないと私は考えます。

邪悪の手から放たれ、自身が犠牲者となって、大きく育っていく最初のうちだけは苦しいのですが、育っていけば実はありとあらゆる感動や感情の中に幸せを見 出すことができて、それはとても幸福です。責めてばかりだった自分をネガティブにしていたものから解放されれば、すでに幸せの中にいます。

自分が大好きになれるでしょうし、価値観の再構築の中で、邪悪というものがいたんだという事は、大いなる勉強になるでしょう。そこから抜け出して、幸せを感じ取りにいくか、今のまま、人を責めて責めていつしか自分も邪悪に成り果てるかは、個人の選択次第です。

少なくとも、目の前の生活に色がつきます。モノクロだった破壊された当初より、数段世の中は輝いて見えます。そして、邪悪を完全に許せる時がきた時、あなたは大いなる祝福を持って人々より、「サバイバー」として生き残った者として賞賛を受けるのです。

まぁ、邪悪の犠牲者のままでいるのが邪悪につながってしまい、最終的に自ら邪悪に堕ちてしまうってのは、本当に邪悪は誰の心にもあるからなんですよね。




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(うそ)

(姉妹品にオオカミ少年ってあったね)