「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

カテゴリ: 富者と貧者のあいだ

平気で暴力をふるう脳
デブラ ニーホフ
草思社
2003-10-17

こんにちは。


わたしは確かに、家庭の事情などがあっても、割とタフな人間であったと思う。実は、高校2年生で自分が爆発してしまってから、高校3年生になって、このシリーズで、始めに出てきた中学の時の同級生と全く同じ立場に陥ってしまった。

全く、学校の授業が分からない。何を書いているんだか、何がどうなんだか分からない。

故に、勘でテストに挑んだところで、勘などたかが知れている。全く、何の教科も分からなくなってしまった。文字通り、持たざる者になり、そして、大学へかろうじて進学できたが、大学で教科ごとに何を話しているのか、分からなくなってしまった。分かるのは物理と数学だけだ。これは、始めから数学科か物理学科へ行けば苦労しなかったと思うようになった。卒業さえも危うくなった。

わたしは、持たざる者になり、そこから、元の持てる者に戻ろうとあれこれ、画策した。大学でお世話になった教授たちは、わたしのあまりの馬鹿さ加減に、それで本気で大学で学ぼうと思っているのかと、あきれ果てて、自分のゼミに来いとは言わず、結局、体よく、別の大学の外研に出されてしまった。

わたしがそこで、自分を諦めることは簡単な事だった。持てる者であった自分が持たざる者になってみて、改めて、そこから這い上がっていくことの難しさに絶望を感じた。しかし、未来を画策してバイトしていた先に、後の亭主となる主人がいた。

彼は、全てを持てる者であった。彼に怖いものはない。しかし、彼も持たざることをよく知っていた。彼は、人に自分の考えを教えることが凄く苦手であり、彼の頭の中にあることは、皆が知っていることだと言う前提で話す。だから、家庭教師は、一件も成立しないままで終わった。彼とは、比較的まともに話せた。彼の思考は難しかったわけではない。彼は、物事のトリックを見抜くことが強いひとだった。ただ、彼の知っていることを知らないと言うと、徹底的に陰湿にいじめられた。

何故か、この男と結婚しようと思った。今までで唯一、日本語が通じた男であった。もしかすると、こいつの後を追えば、昔いじめられても兄貴の手を離さなかったのと同じように、奈落に落ちるのを防げるのではないか。そう考えたのだろう。

しかし、幼い頃、兄貴の後をついていこうとして、敗北感屈辱感丸出しでいたわたしは、またしても、ここで敗北感、屈辱感丸出しで挑むこととなった。元より、敗北感などは、自分の育ってきた環境で嫌と言うほど知っている。敗北感丸だしの中で、痛い椅子に座ることなど、わたしにはどうと言うことがなかった。敗北感を丸出しにして、負け組みの私は、大人しく主人のトリックを聞いた。

数時間経ったところで、気がついた。


自分が全てを理解してしまったのである。あんなに分からなかったことも、分かった事も、彼の教えるがままに、そのとおりに物事を見てみたら、なんと、分からなかったのではなく、自分はその論理が分からなかっただけであった。つまり、彼は、

A + B =C

とだけ、教えてくれた。大学の教え方は、? + B=Cだったり、?+?=Cとかいう教え方をしていた。わたしは、Aがあって、Bがあって、そしてCが成り立つということだと理解できるのだが、どうも、その頃の大学は、Cを作るには、何と何が必要かと言うことを聞いてきていて、わたしには、その単純な公式が論理的に導けず、全く理解できなかったというだけだった。Cを作るのに、作り方が一つだけであれば、誰もが困らない。

だけれど、Cを作るのには、幾らでも色々な方法があって、自分はそれを考え出したら、止まらなくなって、ただ簡単に、手短な、AとBの存在を忘れていた・・・・ってことだった。

物事を複雑に考え出して、複雑なものなんだろうと考えて、勝手に壁を作って勝手に超えられないと思って悩んでいた自分だったが、よくよく考えてみると、物事は思っていたよりシンプルだった。まぁ、そりゃそうだ、誰も学部の学生に、そこまで難しいことを求めるわけではない。

わたしは、自分自身に壁を作って悩んでクヨクヨして、もう超えられないと考えていただけで、よく考えると、そんな難しいことではなかったのだ。全ては、自分が実験してきたとおりのことで、そんな複雑な事を求められているわけではなかった。

後のわたしは、この失敗体験を、様々な場所に応用してきた。


事象はいたってシンプルに行われる。

複雑にしたい人は、複雑にする事に「メリット」がある。人生は、いたってシンプルである。持てる者、持たざる者になる前に、自分が自分の中に壁を作って、何を除けたかった(逃げたかった)のか考えてみるとよく分かると思う。自分が、他人のわずらわしさが嫌いであったとして、わずらわしさを一切取り除いた生活など、この世に存在しない。

他者と絡むことで社会は成り立っている。

その他者を上手にいなすことが、大切でり、そこに複雑にマニュアル化した日常を持ち込もうと思うこと自体が、傲慢の始まりであった。

マニュアル化したら、楽なのは、自分だけである。マニュアル化の範囲を超えた存在に苛立つことなど幾らでもおきるだろう。マニュアル化したくなるのは、人の常だけれど、その人その人によって、心の強さが違う。だから、マニュアルに、完全に誰にでも役に立つものだと言うものなど存在しない。

ちなみに、わたしは、マクドナルドのマニュアルで、ただ、DSを渡されたとしても全く理解できなかった。己の行動に一工夫を加えたがるような、自分で能動的に動かないと動けないようなそういう人間には、あのマニュアルは理解できない。DSで見れば誰でも分かるというが、見たのだが、動作を見たら一発で理解できた。

色々な人間がいて、そういう中で人は育っていく。

わたしとて、マクドナルドで働こうと思えば、そりゃ、それなりにマクドナルドが求める人材像を読み取って、そのとおりに自分を演出していく事だろう。クビになる人の問題点は、いつでも、そこの企業が、「どういう人材に、どういうことを求め、どういう結果が欲しいか」を読み取らない俺様思考が原因だと思う。

俺さまそのままで、企業が受け入れてくれると思ったら間違いである。常に、企業のニーズに敏感である事は、仕事を続ける上で大事である。

俺様の家庭事情は、企業には関係ない。俺様にどういうわけがあろうと、出来なかったら終わりなのが、社会であり、勉学である。どういう事情があろうと、乗り越えて身につける人が伸びるのが当たり前である。

自分に合うことを見つけることが、大事なのであるが、その前に、心が強くないと何もできない。
マクドナルドで、罵声を浴びせられて、それでも、自分の向き不向きを知る為の勉強だと割り切って飛び込める人間は、他でも成長する。反対に、罵声におびえて、その人間関係に気を取られていると、結局、それだけで手一杯になる。どこに関心を示し、どこに無関心になるかが、問題になる。


私はそれ以降、健康にて持たざる者になり、またもや、徹底的に惨めな思いをすることとなる。だけれど、そこから這い上がってきたのには、色々な経験で培った「心の強さ」があったからだと思っている。

 

  

決定権を誤解する子、理由を言えない子 [ 湯汲英史 ]
決定権を誤解する子、理由を言えない子 [ 湯汲英史 ]

こころの病気の誤解をとく [ 藤本修(精神科医) ]
こころの病気の誤解をとく [ 藤本修(精神科医) ]





    このエントリーをはてなブックマークに追加



こんにちは。


わたしは、中学の時は成績こそ良いが、実はトラブルメーカーだった。

あまり思い出したくない思い出だが、実は、中学受験に失敗した時、実母が 凄く怒った。受験の時に本番で白紙で解答用紙を出したというのがばれてしまった。それで、真面目にやろうと思わなかっただろうと問い詰められ、蹴られ、殴り飛ばされ、手ひどい思いをした。

そこの学校は都心にあったので、こんな田舎町からそこまで毎日通えるとは思えなかったし、塾通いで朝から晩まで都心に出ていたからこそ、始発の電車、遅い電車で帰宅する兄を見ていて、嫌気がさしただけだった。

ところが実母は、それを根に持って、いつまでも、中学生のカバンや制服を買ってくれるとは言い出さなかった。


きっと普通の品は買ってもらえないと思い、自分でショッピングモールで、中古のカバンを探してきて、親にそれを買ってくれと言い出してみた。新品を買ってくれるかと、少しは期待してた。

ところが、親は、中古で十分だとか、お前自体が、「三流品」だとか、まぁ色々ののしり、結局、新品のカバンを買わず、その中古のカバンを買って終わりにした。

情けなさで心折れる思いだったけれど、制服は新品だから、我慢してそのカバンで一年目に通った。教科書が入りにくいカバンなので、クラリーノだったら入っただろうになと思いながら、カバンに入らないので、教科書は学校に置きっぱなしにする癖がついた。

まぁ、持てない冴えない小学生と打って変わり、モテモテで楽しい中学生活だった。元々、 煽動して行くことが得意なので、知らずに扇動してたのか、別のクラスは皆崩壊し、荒れ果て、クラスの壁がぼこぼこに歪む中、うちのクラスはそんなことがなかった。それでも、崩壊したとはいえ、あまり大したヤンキーぶりじゃなかった。


ところが、親の事情で途中で、都内に転校してみて、始めてあのカバンはいわく付きだという事が分かった。

転校して、数日後、カバン検査というモノが行われた。カバン検査ってなんだろうと思ったら、カバンから教科書を抜けと教師は言う。抜くも抜かないも、そもそも入らないカバンだから、そのまま下げておいた。

すると、教師が怖い顔をしてわたしをみて、こう言った。「芯抜いたのか。」

何の事だか、意味はさっぱり分からなかった。芯をどうして抜くんだろう。このカバンは買った時からこんなサイズでしたと話をしたが、教師は聞き入れず、親が呼び出されることとなった。

そこで、親は、「この子に買ったカバンには娘は手を加えていない。はじめからこういうカバンだった。そもそも中古のカバンだ。」母親は、顔から火が出る思いで、教師の前にたたずんでいた。母はとてつもないお金持ちの家から嫁いできた。カバンが買えない程貧乏ではなかったのだが、買い与えたカバンに恥をかかされるとは。


その中古は、芯を抜いて、薄くしてあった。それで、教科書が入らないわけだ。ところが、田舎から出てきた転校生は、その事件で、一躍「時の人」になった。 成績は凄くいいけれど、不良の持つ薄いカバン。

転入当初から、薄いかばんかよ、お前最高じゃん、そう、友人に言わたが、わたしは、さっぱり意味が分からなかった。不良がよくわかっていなかったんだろう。

まぁ、カバンのせいにしていたが、小学生の時から、元々、教科書持ち歩きしなかったから、あんまり不便じゃなかった。

全て教科書は、貰った当日に目を通して、そこそこ暗記レベルまで読み込んで終わり。だから、そのまま教科書は、「机の中」か、「ロッカー」 へ。いじめで、わたしのロッカーが蹴られて開かなくなった時は焦った。なんせ、教科書が出せなくなる。机の中は、掃除をするときに、同級生に入れておくと嫌がられる。

他の子たちは重い厚いかばんを抱えて、わたしは薄いカバン で登下校。傍から見てれば、ヤンキーなのか、それとも単なるズボラな成績優秀者なのか、分からない。当時の不良とは違ったのは、わたしのスカートは、当時からウエスト巻き込んでミニスカートだったことだった。凄く長いのが不良の間では流行っていたけれど。


カバンから、授業姿勢まで首尾一貫して、結構色々言われたけれど、当人には教科書を持って帰らないことが何が悪いのか全くわからない。宿題も学校で済ませてしまうため に、全然困ったことがない。

それどころか、家に帰ると、勉強どころじゃない。兄貴が日々の自分の予備校や卒業校の生徒からいじめを受けると荒れる荒れる。あの当時、金属バット殺人事件等がよく事件として挙がったが、兄は、四六時中ナイフを手にし、木刀を持っていた。兄は高校でテニスの大会に出場しただけはあって、スマッシュ力も高い。その兄に呼び出されて、壁に立ってろと言われ、そこから5メートル先で、兄がわたし目掛けて、スマッシュを打ち込む。気が済むまで、わたしは、スマッシュの的となった。

父親は、初めての癌で死線を漂い、実母はその看病で付きっ切り。兄とは、家では、互いに、気が済むまで殴り合い仲裁してくれる人が居ないままにヒートアップ。

わたしは、夜中、10円持って公衆電話に出かけていって、病院へ電話をして、泊まっている実母の声を聞いてから寝ないと気がすまなかったし、どんどん夜、お礼参りが忙しくて家に帰らなくなった。


塾じゃ、苦労せずに満点。だけれど、わたしは、兄貴が勉強している横で、必死に兄貴の解いている数学を解こうとし、いじめてくれる兄の後を懸命に追った。中学3年生が、高校卒業者の しかも、数学が超得意な兄貴に敵う訳もなく、敗北感丸出しで、それでも見失わないように、必死に兄貴の後を追った。

学校では、わたしに文句を言う教師はいなくなり、わたしは文字通り、優秀の中で歩きながら、心の中は不安定さで一杯で、溺れそうな思いで辛かった。今、このいじめる兄の手を放したら、わたしは、もう奈落へ落ちてしまう。なんでもいい、這い上がって生きてこれればいい。そんな思いだった。


兄貴は、程なく、地方の医科大学へ合格していなくなり、父が病院より帰ってきたときには、味気ないほど静かな環境で、今度は、自分だけに親の目線が注視されて、居た堪れない生活が待っていた。


親は私のできように凄く満足しており、この子なら大丈夫だと言う。教師からや、通学中の「性暴力」に困っていることを親に訴えても、親は知らない顔。高校二年生のときにわたしは、ついに爆発してしまい、実母と実父は、同じ部屋に寝ようとはしなくなり、事実上の「家庭内離婚」へ向かった。実母は、わたしの無茶ブリに驚き、父は、変容振りに啞然。

殴って言う事を聞かせてきた父は、黙るようになり、わたしに向けて暴力をふるうのではなく、わたしの私物を破壊することを始めた。

わたしは、親に「出てけ」って言われたら、「出てって死のう」と計画していた。正当な理由が欲しかった。自殺のことは分かっていて、薬も沢山の場所から、印鑑を持って出て、沢山買い集めたりした。高校3年になると、わたしの言動は至って危なくなり、自殺しかねない面が強くなった。自暴自棄で、死にたがりになった。友人のいじめは加速度を増し、歩道橋から突き落とすことがあったり、車道へ押し出すこともあり、わたしには、もう、あの時のような「すがる手」も見当たらなかった。

それを父親は見抜いて、暴力をふるったり、「出てけ」とは言えなくなったという。お前の兄は「でてけ」と言われたら、出て行って、12時過ぎにこっそり戻ってくる、そんなところがあった。けれど、お前は違う。お前にはもう言えない言葉がある。


「お前が生まれてこなければ良かった」とか「でてけ」とか言ったら、お前はきっと数時間後に、死体で家に帰ってくる。


お前はやると言ったら必ずやる。だから怖いのだ。普通は、その言葉を半分に 受け止める。けれど、お前はそう言われて、死ぬのを待っているし、その言葉が出るのを煽っている。それを思ったら、幾ら親が、八つ当たりしたくても、グッと飲み込まなきゃいけない言葉があるのだ、お前には。お前はあの時、覚悟したんだな。もう、死ぬ覚悟を決めたんだ。だから、お前には、生きててほしくて、どうしたらいいか分からなくなってしまった。

お前が欲しがるものを買ったら、「こんなもんで、あたしが買えると思うなよ。」と地獄を這うような声で言った。お前は、全てを恨んで、全てを憎んで、全てから、消えたがった。


どうしたら、ここまで壊れた娘を取り戻せるのか、分からなかった。だから、結婚して出ていくと言い出した時は、相手が少しでもお前に幸せにしてくれるようにと願った。けれど、結婚式の少し前、お前は相手の両親に絶望し、破談を申し出れずに、自殺を図った。

父として、お前は嫁に行かなくてもいいと言いたかった。でも、お前はきっと、生きてくれると、親の心の意味を分かってくれると思った。ふがいない親で申し訳なかった。お前は、お小遣いでなんでも俺たちにプレゼントを買ってくれて、お前は中古品で我慢してたのに、俺たちはお前に八つ当たりばかりして、暮らしてきたんだ。

お前が幸せになる道として、お父さんとして最後の意地を見せて、お前を嫁がせる。どうか、幸せになってくれ。


父が生きてた頃書いてた手帳が見つかって、そこには、こんな事が書いてあった。


持てる者、持たざる者を経験し、「自分が幸せ」だと思えるようになるまでに、色々な経験を積んだ。無駄だった と思うことは何一つない。幸せになる幸せの方角なんて、青春時代には全く見えなかった。仕事をして、死ぬほど働いて、お金が正義だと思ったこともあった。でも、お金は幸せを運んでは来ないことも知った。子供を持ってみて、分かることもあった。


息子達の学校で、必ず、子供が親に「僕、生まれてこなかったほうが良かった?」と聞くという。恵まれている環境の子供は流石だと思う。言う事が違う。自分で、「その言葉の残酷な意味さえも、知らずに言える」。

この強さが、恵まれている証拠。意味を知ったら、誰だって言えな い。先日の邪悪(その1)ではないけれど、その言葉が後々もたらす大変な悲劇を予想しながら、「残酷な事を言える」人はいない。誰もが言う。「悪気はなかった。」

それは、結局、わたしは馬鹿だったという懺悔の言葉なのだろうか。あまりに簡単に言える懺悔ではないか。それは、懺悔ではなく、言い訳だ。


満たされている人は、失う事の大きな悲しみを想像できない。失い始めている人は、更に失う事への怖さは、恐怖心だけが募って、何一つできない。心の悲しみも何もかも、その人が得る悲しみを完全に分かる人などいない。分かってあげられるのは、自分だけなのだ。どうこのきつい現状を、諦めずに切り裂いて進むのかは、あなた次第だ。
諦めるのは簡単で、誰かのせいにしたり、境遇のせいにするのは簡単だ。
でも、それでも、あなたより進む人がいるのなら、その人は、涙を流しながら苦労して進んだのだ。その人の努力を正当に讃えなければ、その人も進む道を見失ってしまう。

残酷な言葉を吐ける人は、想像力が少なく、被害妄想気味で、攻撃的になる。
でも、もうじき、あなたは、その甘ったれた姿勢をもう許されない社会に存在することとなる。そうなった時、あなたの人生は、涙を流して苦労して進んだ人の「税金」で養われることになる。

くだらない言い訳や文句は聞きたくない。

 


福祉の仕事に就く人に、絶対に読んでほしい55の言葉
阿部 美樹雄
大揚社
2011-06(福祉でお目にかかるのは、人生努力しないで享楽的に生きた人が多い)

プロフェッショナル 仕事の流儀 介護福祉士 和田行男の仕事 闘う介護、覚悟の現場 [DVD]
和田行男
NHKエンタープライズ
2013-08-23(反対に、この人はこんなに頑張るのに、どうして福祉は見逃すのかと涙したくなる事実がある)



    このエントリーをはてなブックマークに追加


オバマノミクス―「持てる者への優遇の経済」から「持たざる者への思いやりの経済」へ
ジョン・R. タルボット
サンガ
2009-02(オバマさんは、着手点が間違っていたと思う)

こんにちは。


今でも覚えている人がいる。その人は、17を迎える前に亡くなった。生きている間、壮絶な人生を歩んだ。


わたしとは、中学生の同級生だった。

彼女は、いじめを得意とした、所謂、ヤンキーだった。

わたしは、クラスの一番前の席で、「教科書をカバーにして心霊話を読んでいるような人間だった。」ので、クラスで嫌われていることは分かっていたし、勉強していない割には、成績がなまじいいので、もっと嫌われることも知っていた。そんなわたしにの後ろの席に彼女は座っていた。


彼女は、色々な方法でわたしをいじめた。わたしも家の中で兄貴と修羅場だったので、彼女のいじめはあまり大したいじめではなかった。背中をコンパスで刺されようが、鉛筆で背中を引っかかれようが、全然平気だったので、彼女の中では、一番「苦痛を与えて喜べな い人間」に値していた。

わたしの兄は、陰湿ないじめを繰り返す性質で、女性のヤンキーが行う、叩くとか、つねるとか、そんなのは全然兄に比べたら、平気ないじめだった。

むしろ私は、自分の腕で全てをブロックしながら突き進んで(自分の肉を切らせて)、相手の骨を断つというタイプ。そこそこ、彼女が本気になって、取っ組み合おうと、本気になったわたしが暴れると、喧嘩は流血沙汰になった。

そもそも、握力は男以上、腕力が強くて、脚力が強い。だけれど、まっとうに戦えば、男には敵わない事は分かっている。

時々、彼女がやりきれなくなった時には、学校の帰りに、お礼参りを貰ってしまい、その中に男が入っていたら、効率よくその男達を潰 し、女を潰すようなそういう戦略を身につけざるを得なかった。

戦略を考え付くのは、兄との実戦において学んだ。兄は優しく遊んでくれる面もあったが、兄が抑えきれない怒りを学校で受けた時は、容赦ない虐待がわたしを待っていた。


不良と呼ばれる人とは、お礼参りも含めて、かなり遊んだけれど、ずっと相手が腑に落ちなかったのは、それだけ、暴れるこの女が、実の母親の怒鳴り声には、全く敵わないこと、父親に無条件で殴られっぱなしなこと、兄にみんなが見ている前で、壁に立ちすくんでスマッシュを受け続けて文句を言わない と言う事だったと、卒業式のときに聞いた。

わたしは、警察沙汰が自分の家に良くない事は分かっていたし、公務員の家はそんなもんなんだろうと思っていた。だから、学校で起こす流血沙汰は、なるべく控えるように自律していた。


彼女とは、それでもよく喧嘩したのだが、割と仲が良くて、テストが返却される時に、「わかんねーんだよ」と言って15点のテスト答案を持っている彼女に、こう言った。

「何がわかんねーんだか、教えてくれねーとこっちもわかんねーんだよ」

こんな話をして、お互いに、その15点のテストを見合った。なんと、彼女、小学校レベルの算数からその先ずっと分かっていなかった。分数は分からず、小数点さえも危なかった。全然、全く頭に入っていなかった。わたしは、算数や数学は得意中の得意だからこそ、驚きを隠せなかった。

「お前、どこから勉強してこなかったんだよ。」

「わかんねーよ。気がついたら、何もかも、分からなくなっちまったんじゃねーか。」

「そんな、お前、小学校4年生くらいから、分からないまま、カバン抱えて、ガッコきてたのか。」

「わかんねーから、今習っていることなんか、全然なんだよ。てきとーな事言えば当たると思っていたんだよ。」

「そういう場合じゃないだろう。お前、引き算も怪しいぞ。お釣りどうやってもらってんだよ。」

「あんまし、考えたことねーんだよ。くれるもんをもらっておいて。」

「んで、後で、合ってないことがわかったら」

「お礼参りにいくってことなんだよ。」

「お礼参りに行く時に、幾ら返してくださいって言えるのかよ。」

「いえねー。」

「お前とわたし、授業時間で座っている時間は同じなんだぞ。サボっていたら、お前、お釣りごまかされても、気がつかなきゃ、ぼったくられっぱなしなのか。それで、いーとでも思ってんのか。」

「ぼったくっている店が悪い。」

「そういう考えじゃないだろう。ぼったくられるようなお前が悪いんだよ。あーもー、今日から、お前、引き算足し算掛け算割り算っ徹底ーな。」

「なんで?」

「お前、このまんまだと、まともに行ける高校ねーぞ。」

結局、その彼女には、悪態をつかれながらも、算数の基礎を学ばせた。同じ時間、座席に座ってて、こうも差が開いて価値観が変わってくるのだ。きっと、今日も学校のこの席に座り、わたしはひたすら前の席で、教科書に隠して学校中の「心霊本」を読んでフケっているが、あんたには、漢字も読めないので、その読書の楽しみさえない。ただ、座って何か考えて過ごしてやり過ご すって、一番難しいことなんじゃないかなと、その時思った。


その後、私は難関だった高校に入り、その子は、私立都立全て落ちてしまう。

「なんで、この間教えたことやらなかったんだよ。そこ出たじゃねーか。」

「だってさ、うちがさ。」

「うちがどうしたんだ。」

「うちが・・・・・取り込み中で出来なかったんだよ。オヤジがお袋を殴って。」

「甘いな、うちなんか、オヤジ入院しちまってお袋帰ってこねーんだよ。飯がねーし、兄貴暴れているし、受験の日の弁当は腐ってたんだよ。腹痛かったんだけど、そういう状態でも、受かる時は受かるわけ。お前、そういう状態に徹底的に弱すぎ。親父がお袋殴ったくらいでどうだってんだ。」

「お前のうち、そんななの?」

「当たり前だよ。あんたがコンパス刺したって、殴ったって全然痛くねーつってんだろ。もっと痛いことが、うちには一杯あるんだから。」

「うち・・・・オヤジ、お袋殺しそうで。」

「なら、お袋、守りながらでも、算数位はやりやがれ。」

「・・・・・・・・・・・お前はやってんの?」

「当たり前だろ。勉強なんてもんは甘えてできるもんじゃねーんだよ。みんな必死なんだよ。できない時間なんてねーんだよ。」

「・・・・・・・・あんた・・・・・・・・・・大きくなるんだな。」

「なんだよ、これ以上、背は伸びねーよ。」

「ううん。・・・・多分、あんたは、あたしと世界が違うんだ。」

 

この会話を思い出して、持たざる者、持てる者を思い出しました。

きっと、彼女は、「家の中のゴタゴタ」に気を取られて、それに時間を費やしたからこそ、その後への投資が出来なかった。わたしは、ゴタゴタさえも抱えつつ走って、受験に合格した。

そこの考え方、時間の配分、諦め方、騙された時の考え、それが、きっと、精神的貧者と富者を分けると思う。


彼女は、その後、ついに狂乱した父親が母親を刺した時に、母親を守ろうとして亡くなった。最後に、何を考えて亡くなったのか分からなかったが、わたしは彼女とよく、「いつかは、この町を出てやりたいと思うんだよな」と、お互いに話をしたことだけは覚えている。

実行できるか、実行できないかは、無論、その環境のわずらわ しさにもよると思う。

だけれど、当人の心の強さが一番だと思う。

 

ちなみに、私はいじめられていた人に値するのだが、不思議といじめられている気がしてなかった。コンパスで背を刺されたり、背中が歪んだほど蹴 られたりなどしたが、不思議と痛くなかったのは、その当時のわたしの家が、不安定極まりない状態であったからだと思う。


わたしは、受験で受かった学校があった。だけれど、伯父が田舎から出てきて、父が危篤であり、もしかしたら、受験で受かっても中卒で働いてもらう可能性があることを話に来た。わたしはショックだった。頑張っても報われない世の中があるのだ。わたしは、そこで、学校に通いながらできるアルバイトを探そうと、中学の先生に相談に行った。受かった学校は二つあった。一つは、合格発表を見て、そして受け取った書類には、0が幾つついているか、震えて数えられない程の桁数の授業料と寄付金の要請が書いてあった。自分には無理だと思ったので、書類ごと、その学校の近所の公園のごみ箱に捨て、公園で泣いて帰った。


それでも、わたしは、不安定な未来に震える自分を隠して、親の前でいい子を演じることに、一生懸命なだけだった。

彼女の事は、実家に行くときに、中学の前を通りかかる。体育館を見ると思い出す。わたしに何があれ以上できたのか、中学生の時の非力さを思い出す。

 

心の強さがこんなに大事なことだとは知らなかったんだ。

 

 


貧者を愛する者: 古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生
ピーター ブラウン
慶應義塾大学出版会
2012-04-09


    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

仕事をしていて、色々な同僚がいるけれど、こんな考えの人がいる。
同じ仕事をして、同じ勤務時間だったら、同じお給料が当たり前だと、
その人は意気込んで話をする。

同じ仕事、だけれど、同じ「質」なのか。
同じ仕事、だけれど、同じ「スピード」なのか。
同じ仕事、だけれど、同じ「責任」なのか。

どれだけ同じことを提供しているのか、考えて欲しいと思う時がある。

質は違うだろうし、処理スピードは違うだろうし、責任が違うだろうし、そしたら、同じお給料にならないでしょう。それを、給料格差だと不満を持つこと自体がおかしいんじゃないですかね。確かに、そういう風に言いたい気持ちがあるのは分かる。
でも、その人は残業が凄く好きで、残業代がないと生活していけない。だから、周りもなし崩し的に残業代を認める。その仕事ぶりは、文書のインデントを揃えるだけに3時間かけていたり、好きなように仕事をして、嫌な仕事は、「ストレスになるのでやりません」という。

反対にどこかで誰かは、その仕事を押し付けられ、断っても「業務命令です」とこんな形で返答を受けたりし、それでは、残業しますと言うと、「残業は認められません。」とこんな感じで、扱いに明らかに差がある。

上に上がる人は、それなりの要領のよさもあるし、素質もあるし、技量もある。でも、その根本には、あなたが思う以上の「努力」があって、たまたま「努力が報われる仕事」についているってだけのことなんですよ。

敵わない相手のことを中傷し歩いて自分の信頼を落とすより、自分の得意分野を見つけて、そこで戦ったほうがいい。人を巻き込む前に、ひとまず落ち着いて自分の事を冷静に考えて欲しいのですよ。

同じお給料な訳ではない。同じ待遇ではない。同じ時間同じことをしているけれど、いつかはリストラされる人もいる。





    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ