こんにちは。
とにもかくにも、乙女には王子様が現れるべきで、王子様のスペックと言ったら決まっている。見目麗しく、ちょっと鍛えた身体がセクシーな、知的で、 しかも、王子なあの人が、自分自身の王子さまに値するのだ。だけれど、そんな王子さまは、どうしたら振り向いてくれるのかしら。
憂鬱な午後を送っていただろうアリアドネは、クレタ島のミノス王の娘。
ちゃっかり資産も持ってて、結構、イケテいる彼女がテセウスと出会った時、彼女は心の中でこう叫んだだろうと思う。
「この人ゴミを押しわけて、はやく来やがれ、王子さま」
人と向こうでダベリングしている王子さまは、若さもとりえで、無謀でやんちゃな、王子さま。だけれど、たくましくて、So Sexy。凛とした顔立ちは、自分の父親とは違う何かを感じさせてくれる。あの人、なんなの?あの人、誰なの。うら若きアリアドネの頭の中は、好青年のテ セウスへの興味で一杯になった。
だけれど、テセウスは、若くて稚拙な男の子。結局、クレタ島の怪物と謳われるミノタウロスを倒しに行けとそそのかされて引き受けちゃった。
アリアドネは、気が気じゃない。あの若くてセクシーな男の子で頭が一杯。好きなの。どうしても今回だけは譲れないの。そう考えた彼女は、ミノタウロ スを倒せる特別な短剣と、怪物を閉じ込めてある入り組んだ宮殿の中で役に立つ赤い糸の絡まった糸巻きを準備して、テセウスへと近づいた。
「あなたがテセウスさま?あのね、わたし、あなたが好きです。この二つはミノタウロスを倒せる唯一の鍵なの。」
若いテセウスは、初めて見るアリアドネに、びっくり。若くて綺麗な女の子がいるもんだ。しかも、俺を助けてくれる。
「なっ・・・・・・・何がお望みですか。」
テセウスは、それでも緊張しながら、ちょっと余裕のあるところを見せておこうと、ちょっと引き気味に答えたのだろう。
「わたしを、お嫁さんにして。わたしを、この島、クレタ島から連れ出して。」
何だ、世の中、うまい話があるじゃないか。怪物を倒すだけじゃなくて、若くて綺麗な女の子が、俺についていきたいって?なんてこったい、天は俺を見 放してないよ。大丈夫だ、俺。なんてうまい話なんだ。女の子はついてくるわ、加勢がつくわ、俺、万歳。稚拙なテセウスはすぐに答えた。
「もちろんですとも。あなたこそが、僕の探していた女神さまです。」
テセウスは、もう、やる気満々だ。
アリアドネの加勢を受け取ったテセウスは、持ち前の体力勝負で、ミノタウロスを倒して帰って来る。見てご覧、あれが、ヒーローなんだよ、誰もがそう囁く。
その賞賛が嬉しくて嬉しくて、テセウスは有頂天。アリアドネを船に乗せて、ミノタウロスを倒した冒険話を繰り広げながら、あっちこっち、旅をして、 得られる賞賛が更に心地いい。心地よくなったら、邪魔になるのがアリアドネ。賞賛を受ければ受けるほど、アリアドネのような女じゃなくても、女なら望み放 題だと分かってくる。
あんなに誓ったのに。あんなに誓い合ったのに。
男の誠実さは、どこにあるのか。男の真心はどこにあるのか。男の真実はどこにあるのか。
ある日テセウスは、航海の途中に寄った島での宴会で、ふっと眠ってしまった影の功労者を捨て置いて、さっさと一人船を出す。もっと俺にふさわしい女 のところへ俺は行くんだ、俺は出会うんだ。俺を待っている女は、こんな田舎臭い女じゃない。んじゃーなー、アリアドネ。ごめんよー、悪気はないんだよ。
「あっ」
っと思った隙に、アリアドネは、目が覚めた。気がつけば、隣の男がいない。自分の王子さまを必死で探す。どこを探しても探しても見当たらない。なんなのよ、なんなのよ、どこに行ったの?ま・・・・・まさか。・・・・・・わたし・・・・。置いていかれたの?
アリアドネは海に見る。賞賛を抱えて有頂天になった、あの若い青年が、船を出して進んでいく姿を。
「なんなの、どういうことなの。私の信じてた人は誰なの、あの人は誰?私の王子様はどこ?」
見る見るうちに、彼女から、大粒の涙がこぼれた。初めて夢中になったあの男の子。若くてやんちゃな、思慮の足りない男の子。
だけれど、思慮の足りなさは、私が補えばいいって、そう思って信じてた。二人の行く先を思って信じてた。あの人の言葉を信じてついてきた。
すべては、私の独り芝居だったって・・・・ことなの。涙が止まらないアリアドネ。
彼女は、絶望のふちに立たされて、女神が慰めにきてくれる。それでも、テセウスを諦めきれない。女神の慰めが、どんなに美辞麗句でも、今は心を打た れない。あのひとは、行ってしまった。私の手の届かないところへ行ってしまった。あの人を待っていたけれど、あの人はやっぱり、幼いながらの王子さま。ス ペックは満タンだった。なにひとつ欠けたところがなかった。こんないい男、私の人生でもはや、お目にかかることはないわ。
なんてことを・・・・・。
女神がこういう。
「アリアドネ。テセウスは稚拙で思慮深くない男の子。やんちゃで無謀な王子さま。だけれど、あなたの勇気に、私はあなたにもっと好条件のいい男を紹 介しますよ。何て言っても、神。王子より神の方がスペック高いでしょう?社会的地位も高いわ。しかも、酒の神。嘆くあなたを陽気にしてくれること、請け合 いよ。どう、ディオニューソスに会ってみない?」
「王子よりスペックが高い人なんていないわ。私あの人がよかったの。」
「まぁまぁ、何か言うのは、ディオニューソスに会ってから。」
画して、アリアドネは、ダイエットに勤しみ、最新の服をまとい、髪の毛をセットして、合コンの席に女神と参加した。
若くて美しいアリアドネ、失恋の痛手より、より一層女に深みが増して、色っぽくなったアリアドネが参加した合コンの席に、酒の神ディオニューソスがいた。
「ちょっと待ってくれよ、女神。こんな美人をどこに隠していたの。僕はもう、彼女の虜だよ。」
ディオニューソスは、アリアドネのふっと見せる陰りに、ひと目で恋に落ちた。失恋は女を深くする。恋の痛手、人を失った痛手、何かを失った痛手、そ んな辛い思い出が、彼女のより一層の魅力となる。神とあろうモノが、なんということだ、彼女に釘づけになってしまった。それでも、アリアドネは乗り気じゃ ない。失恋して、合コンにいったって、テセウスのあの魅力を忘れられない。その陰りが、更にディオニューソスに火をつけた。
ディオニューソスは、思慮深き男。持てる物を持ち、有り余るほどの富を持つ男。王子様ではないけれど、洗練されたその仕草。手馴れた扱いが、一つ一 つ、アリアドネのツボに入っていく。失恋を癒してくれるだけではない、この男は、アリアドネが、テセウスを忘れられる日まで待つという。失ったものが大き すぎて、何一つ見えなかったけれど、一つ一つ、優しさを感じるたびに、アリアドネは、ひとつひとつ、女として階段を上がっていく。
幸せすぎた幼い頃から、より一層の思慮深き女として、不幸を嘆き悲しむだけではなく、彼女は確実に、一足ごとに大人になる。
それを支えてくれるのは、ディオニューソス。彼女の周りに影となり、彼女を支えて癒してくれる。彼女の頑なだった心は、段々、彼へと向き始めた。
「ディオニューソス。わたくし、あなたを選びますわ。」
そういわれた日のディオニューソスの満足そうな表情は、誰が想像できただろうか。神であり、なんでも手に入るはずだったディオニューソスが手に入れられなかったアリアドネの心が、やっと手に入った。アリアドネは、既に、素晴らしい女として、再度、降臨したのである。
ディオニューソスは、嬉しそうに微笑んで、彼女の手をとった。
しかし、神と人間は、それでも、生きる時間の長さが違う。
アリアドネを晩年まで愛し、アリアドネが満足した顔で、「ありがとう」と言って去ったそのとき、ディオニューソスは、若かりし頃に彼女に与えた王冠 を、空へと投げた。いつまでも、愛し続けていると満点ベースでの「最高愛情表現」だ。星は彼女を忘れない。星は、彼女を永遠に讃え続ける。彼女は得た。素 晴らしい宝に。愛と豊穣と、そして、真実へと足を向けた彼女の姿はもう見られないが、永遠に讃え続ける星が今も煌いている。
「愛している、アリアドネ。」
朋
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特に、「ひとこと わたしにあやまれ」とか「さよならはあまりに急」とか「私に落ち度はありません」等、秀逸な言葉が載っています。