「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

カテゴリ: 銀の風 (霊能力)



こんにちは。

 

関係妄想には、意外と反響があったようで、皆さん、コメントをお寄せくださっています。公開できないコメントもあるので、ごめんなさい。その中で、ある方のコメントはある意味抜粋に値すると思うので、部分抜粋を致します。


>思うにスピリチュアルの世界は弱者がさらに弱者(または昔の自分)を食い合う世界であり、気が付いた人がドテンして騙される側から騙す側に変わるのではないかと。
>自分を恨んだり憎んだりされないために神の存在をにおわせて、憎しみはカルマになるとか散々脅しつつヒーリングやアチューンメントを受けさせる。

>本当に豊かに生きたいなら霊能者やスピリチュアルに関わらないのが一番なんですね。

>家族が病気になったとき、酷い言葉(自分が引き寄せただの、あなたの心が現れただの)を言ったのはスピ系の人達だけで、普通の人達は戸惑いながらも暖かかったです。

 

わたしは、自分が器質性の障害を背負っているので、精神論では何ともならないことから、実は、整体も鍼も、アロマも、極力、「spiritual」 の要素がある人からは、遠ざかっています。メニューにリコネクションがあったら、絶対近寄らないですし、レイキでもなんでも、あれらは、セラピーの補助的 要素が強いのですよ。だから、オイルトリートメントでも、フェイストリートメントでも、相手を鎮静させる目的で、目に手を当てたり、耳に手を当てたりしま すけれどね。レイキ等は言わなくてもついてくるオプションのようなモノですよね。

それを、逆に売りにしている人がいたら、やっぱり遠ざかりますね。

そういうことに興味があるのはいいのですが、お客さんに「あなたがそう言う事に興味がある」という情報を開示するということは、

1.あなたはお客さんからネガティブを貰っていると思っている/過剰防衛

2.お客さん商売だけれど、お客さんを負の部分ごと受け止めようとは思ってない/適当な商売

3.お客さんに負があることを当たり前とし、負を排除するのは、追加メニューにしようとしている/そのメニューを受けない人は、あなたの負まで面倒見ませんと無言の意思表示

 

ここから、ざっと考えると、「お客さまは負の塊です」と思っていると、大きく考えても問題はないと思います。

基本、整体師も、鍼も、アロマも、そしてヒーラーも、接客業です。接客している相手に、「大きな負があって、とても嫌そうな顔をしてみせて、それを 取り除けるのは自分だけだ。」というアピールは、お客さんに失礼だと思うのですよ。そして、あなたが、相手の負に負けているってところでしょう。技量のや り方を変えなくては、結局は何一つ変わらないと思うんですよ。

自分をspiritualだと言うことは、どれだけ危険なのか、少しは分かってていただきたいと思う面もありますよね。

そして、どれだけ、このspiritual商売が、手を変え品を変え、人を食い物にし、結局は、神の名の下で「あこぎなしのぎ」を削っていることには、他ならないんですから。

新興宗教関連は、まぁ言うまでもありませんが、他国に金を流そうとしている面があるんですよ。それで、馬鹿なspiritual関連の方が、別の国 に会社登録をして、日本で得た収入を脱税しようと勧める人もいるんですね。それは、法令違反です。以前にも、スピで、クレカが使えるので、使ってみたら、 シンガポールで引き落とされたことがあって、怖い思いをしたことがあるんですよ。

spiritualって意外や意外、犯罪の温床でもあるんですよ。

 

だから、寝ている宗教法人を買い取って、やりたい放題する人もいますし、それこそ、脱税や、合法的に資金洗浄をすることや、色々な方法で、お金か ら、「銭臭い」匂いを消すのに躍起になるのですよ。前に、1414でござる等と言って、アセンションを煽った集団は、大麻の合法化に向けて、政治活動をし ていましたからね。あれも、確かリラックスするのでしょうけれど、どうなんですかね。公にならず、制限のない状態で使っている人にとっては、危険ドラッグ と同じでしょう。

みんな、リラックスして努力しないで金を稼ぎたいって意図がみえみえなんですよ。犯罪一歩寸前で、人にやらせて、自分はけつまくって逃げる。そうい う集団の集まりでしょう。異論でも唱えようものなら、結局はその集団の使った不明瞭なお金の始末を押し付けられて終わりですよね。そうじゃなきゃ、「一方 的に帰依して、お前の全財産、お布施しろ」と言われて、終わりでしょう。

あんまりやると恫喝になるんですが、明らかな恫喝行為を、「神」でお茶を濁して、「心霊」でお茶を濁して行うから、spiritualは嫌われるんですよ。

 

普通にタロットをめくって楽しくないですか?楽しいでしょう?純粋に楽しめたあの頃はとても輝いていたでしょう?けれど、一遍ふたを開けたら、あな たはそのタロットで誰かを支配したくなり、ふっかけたと思った金額が手に入れば、もっともっとと思う。世間知らずがつける値段で、世間から見たらおかしく ないですか?と言う話をしたら、ブチ切れするじゃありませんか。

純粋なお遊びの中に、いつしか、巨大な金が絡むようになった。このspiritualの分野は、いつでも誰にでもニーズがあり続けています。だか ら、誰もが権力や名誉欲、そして金銭欲を満たそうとしてやりたがる、「2000年以上続く楽して儲かる簡単なお仕事」なんでしょう。

顧客が予約と言うお金を持ってくるのが遅くなったり、客足が途絶えれば、名前を変えて再デビューし、破廉恥三昧を繰り広げ、あさましさ、餓鬼の如しですよ。数年経ったら、禊のような面構えで、稼ぎに来るちょっとどこか倫理概念がおかしい人も多いですわ。

今や、坊主も神主も併せて、抱き込んで、パワースポットで儲けようとしているじゃないですか。

あれも、世界遺産に合わせて色々やりますわ。ホント、日本のあちらこちらに、銭ゲバ野郎がいるのが、困りものですが、世の中、銭を回してナンボの経済成長ですから、多少なりとて仕方ないかもしれません。

しかし、まぁ、どんな客を相手にするのか、相手に対してどんな情報を開示すると、どう思われるのかは、やはり客商売ですから、spiritualは 特に気を付けないと、危ないですね。情報の開示の仕方も、うまく立ち回らないと、お客は弱った心で来るので、弱っている人を食い物にしたら、どういう因果 関係が待っているか位は、容易に想像がつくでしょう。

でも、世の中、悪人ほどのさばる傾向があるので、そんな因果なんて始めから感じないという、鈍感すぎる霊能者というのも、まぁ、エンターテイメントとしては必要なのかもしれませんね。そもそも、因果が分からなかったら、霊能者ではないという突っ込みは、置いといてね。

 

続く。

 

豊かに成功するホ・オポノポノ 愛と感謝のパワーがもたらすビジネスの大転換
イハレアカラ・ヒューレン
ソフトバンククリエイティブ
2009-04-24
(ホ・ポポンデッタ(苦笑)で、ちゃんと儲かっている人を見た試しはありません)
リコネクション―人を癒し、自分を癒す
エリック パール
ナチュラルスピリット
2006-06
(ヤバメに指示された、禁断のカルト書。ここまで来たら、自分のPTSDを癒しながら、金儲けもたくらむと言う点で、一時期トップセラーでしたが、落ち込んでしまった、DNAアクティベーションと同じ立ち位置です)。

    このエントリーをはてなブックマークに追加

(岩波書店って間違いのない本を出すことで定評ですが、ガセネタが時々ないと金儲けができず、売り上げによって企業維持できないことを如実に示した企業)

こんにちは。

 

精神薬を急に止めたいと思って、離脱症状に悩む人がいます。

色々と薬を飲むことにそこまで、「恥」という概念があるのかは、睡眠薬が好きなわたしとしては理解できませんが、人それぞれの価値観があるのでしょ う。しかし、適切な時に適切さを守れば、依存していくことはないのです。依存していくことがあるのは、あなたにもわたしにもある、心の弱さです。

薬は、簡単にわたし達の症状を消してくれたり、わたし達を緩和してくれるために、もっと欲しくなるという性質があります。

しかし、あなたが自立していく為に使うのであれば、そこまで依存は起きないものです。依存心が出るときに、心の内部に出来上がるのは、「飲まないことによる強迫概念」にしかすぎません。

関係妄想として書きますが、薬の依存性を断ち切る、もしくは強迫概念を打ち切るには、霊能力なんて役に立ちません。

 

当たり前すぎて、どこから説明したらいいかわかりませんが、依存も強迫概念も、どちらも「取り憑かれて」できる症状じゃありません。あなたの「脳」 や「心」が作り出す産物です。それを、気功でどこまで破壊できるのかは、その場に溜まった「思念」位なら破壊できますが、定常的に作り上げられる、強迫概 念に打ち勝つためには、己が強くなるしかないのですよ。

強迫概念を楽にしてくれたとしても、数日後には、またあなたの心には安寧が訪れなくなります。あなたは、飲まなくちゃならない強迫概念にかられ、以前よりもっと薬を飲みたくなります。その位、薬物依存から立ち直るって、凄く辛い事なんですよ。

 

わたしは、かつて、アメリカで、医療事故として、睡眠薬に依存し、依存性が強い薬だったので、それを断ち切ることは不可能でした。唯一できる策は、 アメリカでは許されていない薬を代用することで、なんとか症状を抑えられると自分では分かっていたのですが、住処がアメリカでは仕方ありません。ネット輸 入もない20年以上前の出来事だったので、医者は、州を越えて逃げました。

薬依存から立ち直るのに、結局、日本に帰国して7年かかりました。元々が、依存症気味のわたしだったのですが、10代の頃、睡眠薬が好きでしょうが ない時に、一旦断薬してみようと思い立ったことがありました。その当時は、睡眠薬に耐性ができていて、自分は効いている睡眠薬が好きなのではなく、恐ら く、寝る前に薬を飲むと言う行為が好きなのだろうと思いました。

そこで、大変に飲み込みにくいビタミン剤を医者より処方してもらい、寝る前の就眠儀式として、その馬鹿でかいビタミン剤を数個飲み込んだのです。

結果は、OKでした。薬物性の揺り戻しに遭う事もなく、この手は、わたしの内部を見事にだますことに成功しました。しかし、その一年後、余りに付き 合った男が酷過ぎて、ついまた、睡眠薬に手が出てしまいました。眠れなくなるほど悩む位なら、寝てスッキリしようと思ってしまい、そこで、酩酊感を感じ て、今度は酩酊感の虜となりました。

酩酊感を打ち消すには、アルコールが一番なのですが、実はアルコールは、飲めば飲むほど、睡眠の質を浅くします。と言う事で、酩酊感を求めていたけ れど、アルコールに対してあまりいい印象がなかったわたしは、結局、もっと酩酊感のある睡眠薬を欲するようになりました。仕事で、ガタガタに働き、交感神 経は、簡単に緩まず、眠れない生活を送り続けることは、わたしには、恐怖でした。

結局は、薬って、その効き目の内の何かの体感に依存することって多いのですよ。精神薬であればある程、感覚を麻痺させたりしますから、その感覚に酔 う人も多いでしょう。それを急激に止められるのは、それまでの量を少しずつ減らして、安心感という信頼性を、自分と自分の中で強化してこなくてはなりませ ん。

それを、自身への信頼感が、世の中で一番薄い人が、いきなり、かけていたはしごを外すようなものが、断薬です。代わりになる代替策があれば、気も紛 れますが、そこまで信頼しきれるものがないあなたが、信頼しきっていた薬を切ることは、断腸の思いに等しい事だと思うのですよ。

 

それを、霊能者が、見事にすっぱり断薬の手伝いをしてくれたとします。すると、あなたの信頼は、どこへ向かうかわかりますか?

その、断薬を手伝ってくれた人への信頼感が強化され、見事に今度はそちらへの依存に切り替わるだけなんですよ。結局、あなた自身が強くなって、あな た自身が、誘惑から打ち勝って、そしてストレスを昇華させていかないと、あなたは、次から次に依存先を変えていくだけの「寄生虫」のような存在になってし まうのですよ。

薬に持っていた信頼感はあっても、止めたいと思っていたとなると、心の中では飲むことに否定的だったのですよね。でも、それを公的にあなたが、表に 表してしまって、他者に依存替えをすることが、凄く間違った行為だと思うのですよ。もしくは、アルコールですか。ストレスを抱えている人は、大方薬が好き だったり、アルコールが好きだったりします。ひどく簡単に、あなたを緩ませてくれるからです。でも、どっちも飲み過ぎは肝臓によくないのですよ。

だから、霊能力では、あなたの依存性も、強迫概念も治りません。治せるのは、あなたの心の中をあなた自身が、壊れた時間以上の時間をかけて修復していかなくてはならないのです。

 

ところで、霊能者がよく、断薬ワークというのを行いますが、大体は、こっそり危険ドラッグに代用したり、強迫概念を砕くために、ヘッドギアを着けさ せて、電気を通電させて、ショックでシナプスを強引に切ろうなどをと言う手段を使います。脱水に成る程、排出させて毒素を抜くという、方法を取りたがる人 もいます。一歩間違って、心臓に負担が強くなった時は、死です。他には、狂ったように薬を欲しがる人に、水を沢山飲ませ、正気にさせようとします。

ですが、そんな素人療法で治るものであれば、とっくに治ります。

 

抗生物質でも、決められた期限飲まない人も多いのですが、きちんと飲み続けないと、完治や寛解に程遠くなります。適切な量を適切なだけ飲み、依存心が強い心や強迫概念が訪れやすい時には、穏やかになるように、自分を押さえて努めて行くのが通常です。

と言う事で、精神薬の依存症と、霊能力は無関係です。

それでもある日、お力が授かったとか、いきなりの万能感、眠らなくてもいい人間になったと思い始めたら、絶対にわたしは、診てもらいに行った方がい いと思いますよ。人間は、記憶した分を多少なり眠って整理しないと、頭の中が崩壊してしまいます。そこで、何か間違った方角へ踏み外すのと、そうではなく て、適切なケアを続けるのとでは、差があります。

また、感覚過敏は時として、過労から来るメンタルの不調から呼び起こされることもあるので、あまりに感覚過敏になる時も、内科からでもいいので医者に行くことをお勧めします。それと、そういう時程、休みが取れたら寝るものです。

 

別に、精神薬の薬を飲むこと=「社会的×」という訳ではないですよ。肩こり腰痛、胃痛で、安定剤飲む人は割と多いです。不定愁訴で、漢方飲んでも、 結局は外見が違うだけで、中一緒ですよ。昨今、なんでも安定剤で嫌だと言う人もいますが、ストレスが多い社会ですよ。飲んでみて、効果あれば、適切に使え ばいいだけのことです。薬に使われるようになっては、おしまいです。薬は、ツールの一つです。

こんな世の中ですからね。親が亡くなった、ペットが亡くなった、環境が変わったなりで、色々と心に負担が来て当たり前だと思うんですが、当たり前に受け取れない心が既に、自分の弱さを認められず、関係妄想へ陥るのでしょうね。

 

ちなみに、神様を信じたら治るかと言う事ですが、一切見返りをくれない神様を、あなたがどこまで信じ切れるかですよね。それより、あなた自身を信じ られるようになった方が、遥かに、道のりは早いと思うのですけれどね。少なくとも、あなたは、健全な精神で働けば、金も入る。これぞ、現世利益万々歳じゃ ありませんか。

 

続く

 



(昔は、結構積極的に、摩訶不思議と精神病を結び付けることが多かったので、拝み屋さんという商売が成り立ちました)

    このエントリーをはてなブックマークに追加



こんにちは。

 

このシリーズは、一番初めに、「先祖供養は自分の立身出世について影響があるのか」という問いから始まりました。

わたしの考える先祖供養も含めての答えは、「あなたが決して折れない心を保てるのであれば、行う全てが効果がある」ということです。

あなたは、折れやすい。心が折れやすい。折れない為に、あなたはできる範囲で、それを繰り広げようとする。でも、本当に信じ切れますか。先祖供養や 神に拝んで本当に信じ切れますか。何かあって、本当にドンドン不幸になった時もなお、あなたは、それでもそのありがたみを信じ続ける事ができますか。

戦争に行く人たちの例も挙げましたが、戦争は本当の修羅場なので、心を強くさせる為に、あえて宗教をお勧めする国もあります。

つまり、あなたが、現時点の状態に対して心折れやすくなっている時は、何か心を折れない、信じきれるものが必要なのだと思います。それは、他人に寄 るものという選択が一番怖いですね。他人の優しさは、時として、うつろいやすいからです。振り回されて、感情をかき乱されれば、職場でもあなたの姿勢は、 どんどん評価が下がっていきます。

だからこそ、あえて、見えない何かを信じることの方が、遥かに無難でいいのだと思います。先祖供養で、あなたが本当に救われるのであれば、やればいいと思います。でも、やってもやっても、結局は、見えない何かを取り祓う事はできないのです。

むしろ、その先祖供養に費やしたお金を、別方面に費やしていたなら、後日のあなたは少し楽だったかもしれません。妄想に取りつかれ、妄執に取り憑かれ、自身の過剰な「想い」を叶える為に、あなたは、全く無駄な方面にお金を費やしたのですよね。

では、先祖供養ってそこまでお金を出してすることなのでしょうか。

どこまでが限界で、どこまでやればいいのでしょうか。

 

それが一番疑問点だと思うのですが、あなたがやればやるほど効果が出たと思い込んで、先祖供養と現実面の「関係性のないモノゴト」を結び付けて、妄 想して行く時に、恐らく、先祖供養をした時、あなたは、少し余裕が出たのだと思います。その姿勢で、周囲と当たるので、周囲は、あなたの攻撃的な面を見た り、被害妄想的な面を見たりしていますが、「穏やか」なあなたを見て、多少なりとて関係が修復されます。

でも、ほんの少しで終わってしまいます。

なにせ、先祖供養は、「禊」ではありません。

あなたが、今まで犯した、色々な不作法についての「謝罪」には値しないんですよ。

 

あなたは、周りが自分を見る目が変わってきたと考えている。あなたが招いたことで、あなたの性質が、その場に対して不調法だったからこそ、そう言う 事が起きたのでしょうか。また、営業成績が下がってくるのは、少なからずもあなたが招く原因が少しでもなかったでしょうか。あなたは、心から、自分に罪は ないと言い切れますか。あなたの周りへの態度は、少しでも、ぶれませんでしたか?感情に任せた時もありませんでしたか。あなたが気が付かない怠慢な態度 や、驕った態度が、招く事実もありますよね。

 

これらのあなたが思いもかけず起こしたことの、禊を、先祖供養で何とかしたい、神でなんとかしたい、そう考えても、うまく行くわけがないじゃないですか。

 

あなたの行動と、先祖供養には、全く関係性がないのですから。あなたが、既存宗教の大きな考えに触れて、自分の頑なな先入観を少しずつ解いていくな らわかりますけれどね、そうではなく、ただひたすら、己の欲の為に、先祖供養を行って、何の関係がこの「欲」と「先祖供養」にあるものですか。

あなたが、「親」を犠牲にしてまで、生き延びようとし、親がそれに応えて、自分を犠牲にして子供の先行きを願った。そして、その後、子供は成長し、 大きな社会的地位を得て、初めて、墓を建てなおすという話はよくありますが、そんな家の中で、感謝の気持ちの裏にどす黒い「欲求」を抱えた先祖供養に何の 価値がありますか。

あなたの既成概念は変わらず、ありがとうございますと言う言葉は、「あ」でも入れれば予測変換されるのでしょうか。感謝の意味なんて分からないで使 う感謝と同じなのですよ。本当に、ありがたみが身に浸みて知る時は、あなたが自分の心を入れ替えた時ですよ。でも、人間の性質はそんなに簡単に変わらない ので、ちょっと難しいですよね。

あなたが、犯した罪は、あなたが自分で償うしかないんですよ。職場で無視されるようになってしまったのは、経緯を深く掘り下げれば、あなたにも原因 があったはずです。あなたの価値観を押し通したことで、恐らく軋轢ができているのだと思います。上手に他人との価値観のすり合わせができなかったのでしょ う。

それを、先祖供養とか、神とか、そんなんで、チャラにできると思っていたら、それこそ、関係妄想ですよ。

宗教は、己の罪を認め、己を見つめなおすためにあるのであって、己の欲を満たすためにやるのは、「坊主と神主」だけでしょう。

 

わたしは、少なくともこれらに関係性を認めませんし、関係性があったとして、何かいいことがあったとしても、恐らく、わたしが意図する時にそれが使 えるとは思っていませんよ。意図する時に、徳を積んだから使えるものがあったとしたら、皆恐らく、2000年以上昔から、徳を積もうとする性質に変わって いると思いますね。

少なくとも、2000年以上前から、金は、己の欲求を満たす時に自由に使えるものでしたからこそ、徳を積まずに金を積もうという、拝金教という考え があるのだと思います。しかし、あなたは、がちがちの固定概念のまま、他人とぶつかり合い、そして他人に知らずに印象を悪くし、そしてそれを、「手っ取り 早く禊したい」と思う。

 

これ、その考えのあなた自体が、既に間違っているのだと思いませんか。

心が強くなるどころか、鈍感そのものですわ。

 

続く

 

(ヤバいところって、一番のホラーは、治安の危ない地区に限ります。予測不可能な行動を取る人たちに紛れると、自分の価値観まで歪んできます)

    このエントリーをはてなブックマークに追加

メランコリー ―人生後半期の妄想性障害―
慶應義塾大学精神病理研究グループ
弘文堂
2008-04-18

こんにちは。

前回の続きで書いていこうと思っております。お付き合いの程よろしくお願いします。

さて、スピリチュアルでは、沢山の質問を受けます。殆どが、先祖供養の話だったり、神社のお札だったり、神社参拝のマナーしきたりだったりします。

そこで、単刀直入に言ってしまうと、先祖供養やお札やお祓いの事については、正直に言えば、やっていただけると、「坊主や神主が儲かります。」言われたその通りにしていただけるのであれば、定期的固定客として来ていただけるので、大変に有難い存在です。

しかし、先祖供養において全く効果がなかったという例はありませんが、あなたが絶対に該当すると言う確証はありません。なので、先祖供養をしていた からこそ、このような有難い目に遭ったという話があったとしたら、わたしとしては、あまりそういうことを真面目には受け取りません。「一つの偶然」として とらえていただきたいと思います。

また、お札の話になりますが、あなたが願をかけたことが叶ったのなら、お礼を兼ねてお札を返しに行くことは理に適っていると思います。

ですが、願が結局届かなかったのであれば、逆にお札を返しに行って、あなたは、その願が届かなかった理由について、ご自身を顧みてはどうでしょう か。ご自身で、油断した面や、無茶なことをお願いした可能性はありませんか。そうであった場合は、その自分を悔い改めるつもりで、お札を返して、そして、 その中で、悔い改めて出直してきますと言って、帰宅する方が一番だと思いますね。

もし、それでも何かにすがりたい気持ちがあるのであれば、それは、それで、別個の問題だと思います。

辛い時、誰かに頼りたい、甘えたい気持ちは凄くあると思いますが、あまりにお札を集めすぎて、これが叶った=XXのお札の所為と関連づけてしまうことは、やはり関係妄想なのではないかと思うのですよ。

そうなると、強迫概念のように、ネットを探していい神社、いい寺に行きたがり、闇雲にお札を貰えばご利益があると考えてしまいますよね。そうなると、立派な、関係妄想に該当するとわたしは考えています。

 

最近は、うちも受験ですから、色々に頼りたいとは思いますね。だからといって、あちこちお参りして歩くことがいいのではなく、その時の勝負運につい て、受験当人が「身構えない」でリラックスして臨めるために、そもそも「お札」というのはあると思うのですよ。あくまで、そういうのは、心の支えですか ら。でも、それを百パーセント過信するとか、先祖供養でもしたら、合格するんじゃないかという考えでは、既に負け組なのではないかと思うのです。

そう言えば、筑波大付属駒場高校に合格したご家庭がありました。

一丸となる以前に、そもそも、お父さんがずば抜けて頭が良く、論理思考の最たる持ち主だったんですね。お母さんも頭が良く、論理思考については、子 供のころから鍛えられてきたと言います。その中で、彼らが最終的に選んだ学校は、つくこまだったのですが、そのひとつの選択肢の理由は、つくこまの問題 は、ご自身の息子が比較的どこよりも解きやすかったという点がありました。

そのご家庭が頑張っている間、おばあちゃんは、気もそぞろで、神社の学問系の神様にお百度を踏んだと聞きます。ですが、先祖供養はあまり脳内にな かったそうです。そもそも、そのおばあちゃん自体が、年の割には相応な論理思考の主で、そのおばあちゃんのお子さんは、難関学校を出ている人ばかりでし た。

そこまで資質が備わっていて、そして、過去問が非常に性質に合っていたことが、合格の決め手だと思います。

決して、おばあちゃんのお百度の所為だけではなかったと思います。

彼らは、結局は湯島に願う事も、他で願うこともありませんでした。理由は、そこで風邪を貰っても困るし、結局は勉強の地道な積み重ねであると、当人を含め家族が分かっていたからだと思います。

そういう点から考えると、たまたま、そうであったけれど、実はその合格したお子さんは、大変腰が低く、傲慢なけらいがありませんでした。非常に親譲りの柔軟さを身に着けていて、これなら安心だねという感じの方でした。

 

ところで、そんな事情はともあれ、あなたは「神にお願いしても何か願望を遂げたい」訳ですよね。

 

でも、企業に入社するために、色々ご祈願する人もいますけれど、わたしからしたら、企業に入社することがゴールではないんです。婚活もそうですが、 結婚がゴールではありません。全て、それから長い事お勤めできるか、婚姻生活を上手に維持できるかの方が凄く大事なことなんですよ。だから、そこをゴール 地点と定めると、とてもなく、入社後の生活が辛く思えると思います。

それを今度は、先祖供養で、感謝感謝と連発する人がいますが、おごり高ぶらない人ほど、感謝とは言わないです。

そもそも、腰が大変に低く、何事からも学ばれるので、感謝と言う表面上の言葉より、「ありがとうございます。」という言葉をご使用になる方が多いで すね。それから、感謝感謝といっても、感謝していないのに、口先の感謝もありますので、どこまで「心からその言葉が言えるか」の方が大事ではないでしょう か。

 

確かに、先祖に感謝する時、先祖が色々な大変な修羅場を踏み抜いてきてくれたおかげで、現在のあなたがあるのですが、想像力に欠落した人は、その先 祖の修羅場に対しては、あまり理解が深まりません。そういう浅い理解のもとで感謝と述べても、実際の苦労が身に浸みてわからないままであれば、先祖供養を 続けたところで、覚悟ができず、転職、退職を繰り返すのではないでしょうか。

 

先祖供養を沢山してくれると、そりゃ、儲かるのは、先祖供養ビジネスです。色々な物販が繁盛するので有難いことだと思うのですが、しかしながら、全ては、結局あなたが責任を取ることであり、先祖が責任を取ることではないのです。

あなたが責任を取らなくてはならない大変なことに対して、あなたは、先祖供養や神社の御祈願を、責任の何パーセントに置きますか?

 

わたしだったら、先祖供養している暇も、神社の御祈祷をする暇も、全て心血注いで、全力で責任を取らなくてはならない現実に集中します。

 

しかし、あなたは完全に弱い。弱いからこそ、誰かに甘えたい。甘えることを許さない現代社会だからこそ、愚痴を言い合う仲間として選んだのが、恐ら くspiritualの仲間だったり、宗教の仲間だったりするのですよね。それでも、本当に愚痴をこぼしてあなたは前に進めますか。もっと、勉強できる人 間のもとで、切磋琢磨した方が、愚痴を述べ合うより遥かに効率的なのではないですか。

 

確かに先祖供養や神社祈願は、あなたの内省に対して非常に意味はありますが、現実はそんなに容易くないです。

 

何にもでも頼ってお札の数を多くして、あれはこれに効いた、これはあれに効いた等の関連性のないことに妄想を費やしたら、次の局面をあなたはどう切 り抜けるつもりですか。どんどん人生は、ひとつ難関を越えたら、もっと難関が待っています。そうしたら、あなたは一体何にすがるのですか。すがって、結 局、何が得られますか。集中力を得たいのであれば、家でもできます。

でも、あなたは形から入らないとできないのですよね。

それで、あなたはその局面の責任を取れるのでしょうか。

結局、当たるか当たらないかわからない神を闇雲に集めてコレクションし、あれこれ強迫概念のように、「行かなくちゃいけない」とか「呼ばれているからどうしようもない」と考えるより、地に足を着けて、

あなたを護るものは、ちゃんといるからこそ、あなたは今は地味な積み重ねを重ねて大きく花を咲かせなさい。

そう、わたしは言いたいですね。少なくとも、神社はしごや、寺はしご、古刹めぐりを越えた病的なお参りは、流石にどうかと思います。あなたは必死だと思いますが、周囲から見たら、「病的な神頼み」に見えることだと思います。

 

では続く。

 

妄想に取り憑かれる人々
リー・ベア
日経BP社
2004-02-05



    このエントリーをはてなブックマークに追加


モテモテな僕は世界まで救っちゃうんだぜ(妄想) 日常修羅場編 (このライトノベルがすごい!文庫)
谷 春慶
宝島社
2013-01-10
世界大百科事典 第2版 関係妄想の用語解説 - 他人の何でもない言葉や態度,周囲の出来事などに特別な意味づけをおこない,動機なく自分に関連づける妄想。(KOTOBANKより抜粋)



こんにちは。

 

色々な人が、霊能者を訪ねてこう言います。

「わたしの行いが悪いから、死んだ祖母は上へあがれないのでしょうか。」

「先祖供養をしたら、わたしの婚活はうまく行きますか?」

「彼を取り戻したいのですが、お墓を建て直したら、彼を取り戻せますか?」

 

わたし、ずっと前にある医者を訪ねていたのですが、急に辞めた経緯があるんですね。理由は、治療の項目に「先祖供養」とカルテに記載されたからです。

確かに、確かに、何か不思議なことって結構あります。でも、全く関係のないことと自分の先行きを結び付けるという考えを「関係妄想」と呼ぶのですよ。

 

自分の行いと全く関係のない何かの関係性を無理に作り上げるのは、極めて危険な思想だと思います。

そう言う事を言い始めたら、どんなことでも結びつきますよね。

そう言えば、こんな話をタクシーの運転手さんがされていました。

そのタクシーは、197という車番なのですよ。それで、お迎えに上がって車番を通達されると、「その車番は外してください。」と縁起を担ぐ人から言 われるんだそうです。理由は、197は、「いくな」と読めるからです。滅多にそういう話をされる方は少ないのですが、基本的に公の数字にしても、4が続く とか、9が続くなどの数字羅列をしない様にしています。

もし、あなたが運転免許証を得て、免許証番号を見た時、「4444444444」等の数字の羅列であった場合には、次のような行動の予測が挙げられます。

1.死に繋がるので、運転をしない。

2.運転免許証番号を変更してほしいと苦情を出す

3.自分には死神が憑いているんだと考えて、社会生活のコミュニケーションが成り立たなくなる。以降、社会廃人となる。

4.怪しげな宗教に、自分を救ってくださいとお願いしに行く。

5.怪しげさを取り祓う為に、自暴自棄な修行を積んで、結果命を落とす。

 

こんなことが簡単に考えられますね。9が続けば、ドライバーでご飯を食べようと思っていた人は、「きっと苦労続きの人生なんだろう」と思って、ドライバーで事故を起こした際に、その番号のせいにするか、もしくは、ドライバーを辞めるかです。

なので、実際には、公でこういう番号の羅列を「偶発的」に作らない様にしています。

今までの例でどうあなたは、考えますか。

あなたも、実際、14:14で、「よし、プロジェクトはいよいよだ」とか、17:17にて、「いーないーなって精霊も言っている」とか、19:19 で「今夜は不感症の彼女もイクイクだ」(不謹慎)なんて考えることってあるでしょう?それって意外と楽しくて面白いですよね。ぞろ目に出会うと何故か気分 が高揚しますよね。理由は、ぞろ目の発生する確率を計算し、そこへあなたがふと目を寄せた確率と併せて考えたら、「意外と確率的に少ない確率の中のめぐり あわせ」だからなんですよ。

でも、それで実際、プロジェクトはいよいよなわけでもなく、結局、プロジェクトはいつものディレイのお約束にて、先方に思いっきり怒鳴られるとか、 いーないーなと思われたはずのネットショッピングでの買い物は、届いてみたら「がっかり」だったり、イクイクで彼女をイカセられるかと思いきや、案の定あ なたは今日も早漏で、おまけに愛しの彼女は、仕事疲れで行為の最中に寝ちゃったとか。

結局、そんなものだったりします。確かにいーないーなで、いいものをゲットすることもあるのですが、それは、あなたが、一生の中で、1717にめぐりあう回数をN回として、その中のほんの僅かだったりするのですよ。

年取ってきちゃってまで、時計を頻繁に見る人もいなくなりますからね。

そんな訳で、偶発的な産物や、関係性のない事柄に、自分を結び付けて考えるのは、極めて危険なんですね。

これらを遊び程度の感覚で結び付けて遊んでいる程度にしておかないと、結局は、日常の色々なことがあなたの行為に結び付いてくる「妄想」から抜けられなくなるのです。そうなると、強迫概念が身についてしまい、あれを忘れたかな、これ大丈夫かなという心配性になります。

また、時計のぞろ目で、運気を占う癖があった人は、「当たった確率が低くても」時計を見る癖が執拗につきますし、その後、時計で時刻を確認できない と、パニックを起こします。一度パニックを起こすと、その恐怖感は半端ないので、余計に執拗な「関係性のない事柄」を確認して、自分の行動に結び付ける妄 想から離れられなくなります。

スピリチュアルも確かに悪い面があるのですよ。

ある人のところに行った。良かった。でも定期的に通ってくださいねと、信頼が置ける人に言われると、効き目があればあっただけ、人は真面目に守ろう とします。結局は、なんか効きが悪くなったと考えていても、その不満を出すことはありません。もし、それが薬物に対しての「離脱感」を抑えてくれる道場で あったとして、別の薬物でリラックスして「離脱感を一時的に回避している可能性」がある場所もあるのですよ。

リラックスって、そんな状態は中々作りにくく、新しい場所に向かえば向かうほど、人は緊張をしますよね。スピリチュアルには、新しい場に馴染みにく い人が多く集まるので、違和感を感じるべき初回に、「極度のリラックス感」を感じた場合は、もう、それは何かの化学物質か、大麻か何かをやったのだろうな と思う面が強いのですよ。勿論、その集まりの中には、サクラがちゃんと存在していて、安心感を煽るんですね。なので、「ここで安心できない自分がおかし い」と錯覚してしまう事もあるので、出来れば、サクラがいない状態で集まった方がいいとは思うのですがね。

依存傾向がある人は、そもそも妄想傾向が強いので、遊び半分でやっていたことをお遊びで済ませられなくなる時が必ず来ます。そうなった時、あなた は、関係のないことを自分の何かと勝手に結び付けて、より妄想を膨らませ、結局、自分で現実を、自ら、踏み外してしまうのですよ。

カード占いにしても、わたしは1事象につき1回しか占いませんし、そうなると、「考えをこう変えたので、再度お願いします」「あれから言われて、こ んな時間に時計を見たら、16:16だったので、先生の言う通り色々見ろという話なのかなと思ってぇ、色々見ることにしたので、もう一度お願いします。」 とか、色々と妄想の中に入ってしまった人には、その妄想を止められない状態を招きやすいのですよ。

 

ところで、百貨店って、外で起きたこととか、中で起きたことを上手に隠語にして「曲」で流したり、「放送」で流したりするんですね。百貨店だけでは なく、スーパーも同じですが、そこで、例えば「雨が降りだしたので、お客様の御手荷物をビニール袋で覆ってください。」というメッセージの「雨関係の歌」 が流れてきたとします。それを、隠語だと知らないで、聞いていると、規則性が見つけられず、結局は、その規則性ではない関係性を自分で妄想して、当てはめ てしまうのです。

つまり、「雨関係の歌」が流れているのは、自分が百貨店にいるということを百貨店全員に注意として流している。

そんな感じですかね。あなたが、万引き常習犯だったら、流石に要注意の隠語アナウンスですが、そうではなく、何も否がないあなたにそんなことをする ような百貨店じゃありません。百貨店は、客は、普通に買いに来る人から外商までいます。外商のお客様がいらっしゃったのであれば、アナウンスは必要です が、売上高がそんなでもないあなたを何故に注意しなければならないのか。

その関係性を妄想して作るのは、結局、あなたなのですよ。あなたが百貨店に入ると、「その曲が流れた」。その事実が数回続いただけで、あなたは、その曲の意味を知らず、勝手に関係を妄想して、自身の暗闇に落ちていくのですよ。

わたしは、割と曲が好きなので、選曲の規則性を「自分抜き」で見る癖があるので、妄想まで陥りませんけれどね。自分抜きではなく、全て自分に関係す るのだと妄想し始めたら、電車にも乗れなくなりますし、公共機関の使用は難しくなりますし、タクシーも、先ほどの例で、せっかく止めたタクシーの車番がた またま「197」で、あなたが悲鳴を上げて路上で壊れちゃったら、流石にタクシーも難しいですよね。

 

数字については、割とナンバープレートには、個人の主義主張がこもっています。人によっては、「3939サクサク」であろうし、ひとによっては 「8888(末広がり)」であろうし、「−510」で何だろうと思っていたら、後藤さんの車だったという話もありますしね。そんな中で、割と数字について は、妄想を繰り広げる人は多く、その多くが先ほどご紹介した時計のぞろ目にあるのですが、ぞろ目に出会ったところで、何かあなたの人生がドラスティックに 変わることはないですよ。

わたしも、ブログ業が長く、エントリも多いのですが、その一つ一つに、意味を込めた時間設定はしていないです。たまたま、17:17になることもあ りますし、たまたま、21:12になることもあります。これだけ多ければ、当たり前なんじゃないですかね。それを、狙っていると妄想し始めたら、あなたは あなたの中で、やはり関係性のないことを自分に紐づけて考えて、妄想の中で、迷い始めてしまうのですよ。

特に、わたしの場合は、書きたいことを特に決めて書いているわけではなく、たまたまのタイミングなのですが、それがあからさまに自分とシンクロした として、シンクロを楽しんでいる分にはいいのですが、少々病的にシンクロを「わたしを逆探知していますか?」とか「わたしのPCを見る事ができるのです ね」等コメントされると、非常に辛かったりします。

ですから、基本的にわたしの琴線に触れたキーワードで書き出しているので、あなたの琴線とご一緒だったんですねって感じで済ませていただけると助か るのですが、時々、かなりシンクロ厨が湧きまして、妄想を膨らませて、その関係性のなさにわたしは病的な危険性をそういう人に感じることはあります。

 

あくまで、シンクロニシティにしても、そんなこと沢山世の中にありますよ。

あっ、なんか助けてもらったみたいって感覚。でも、それで済ませられず、その正体を見たいと思うほどの好奇心の強さは、何か現実面で錨を沈めておか ないと、妄想の海に流されてしまいますよ。妄想は、簡単なんですよ。自分に不安なあなたが作り出すものだからです。ある程度で楽しめないと、やはり、とて も辛くなると思いますね。

ところで、全くのオカルト性がないかって言われると、オカルト性はありますよ。でも、あくまで計算してできる範囲の中に、オカルトの規則性はありま せんよ。オカルトの規則性と言うのは、ある程度のモノが整った時ですが、決して、終末説のような話ではないです。終末説は、あれはコンテンツです。スピリ チュアルが喜ぶので、創りあがってきた、視聴率やPV稼ぎのコンテンツです。陰謀論と同じベースに乗っています。

でも、それ以上の何かを感じることが、余りに多い生活をもし、あなたが送っているとしたら、ご事情をお察しします。命からがら戦っているのですね。 でも、その緊張感の中で、しきりに何かに結び付けるような発想をせず、起きた事象を事象として受け止めて生活に生かすことが、あなたに前へ進めというモノ の言いたいことではないですか。

決して、そのモノの正体を見ることなく、進んで行けば、分かる時に分かるものなので、無理にアクセスしたいと考えると、「妄想障害」の方へ進んでしまいます。

 

スピリチュアルは、精神的な分野の中で、大変にギリギリの路線を踏み込んでいると思います。

勘の良さを、人為的に拒食・過食で作り上げたり、薬物で作ってみたり、睡眠を削ってみたりするような、体を痛めることで勘を増やそうとは思わず、できれば、自然なペースであなたなりの進み方を得ることが必要だと思います。

時に、辛いペースで進むこともありますが、決して、精神病と呼ばれる「妄想」の分野に落ちて、そのまま戻れなくならない様に、現実はいつもお忙しく していることを勧めますね。暇な人ほど、妄想に取り憑かれやすいので、妄想は、適当に切り上げるように、自身に暗示をかけてください。

世の中、あなたの知らないこと、わたしの知らないこと、沢山あります。規則性は、いずれ見つかるので、それまでは無理な関係のモノを妄想で無理やり結び付けないことが一番だと思います。

ところで、わたしは、先祖供養では、心臓病は治っていません(大笑)。

ところで、続きます。

 

 


メランコリー ―人生後半期の妄想性障害―
慶應義塾大学精神病理研究グループ
弘文堂
2008-04-18

妄想に取り憑かれる人々
リー・ベア
日経BP社
2004-02-05




    このエントリーをはてなブックマークに追加



こんにちは。

意外と皆さん、思い当たることがありますね。霊脳って、普通に皆さんにある感覚なので、何かしら、「あるあるあるある」と思っていただいていいでしょう。

痛い歴史をあげて行きますと、晴れている運動会、暇をもてあまし、次男を使って、晴れを曇りにするにはこうやってこうやってチョイヤさって、やった ら、豪雨に降られました。若い頃だと、良く天気を変えること多かったです。主に、晴れているときに、雨にした事が多いです。できる条件ってのがあって、で きる条件が積み重なるようにすると、雨が降るんだと思っています。

昨年度から、友人とガチンコ対決、晴れ女 雨女で頑張っているのですが、勝率は昨年度は私の勝ち。微妙に嬉しくありません(苦笑)。

電話かけてて、幽霊の話になった途端、電話が切れる。これはよくあります。家電でも切れちゃうので、話しちゃだめな事なんだと思います。ちなみに、 こういうことで言うと、話をしてた故人の話になって、いきなり、故人の写真の額が落ちるということがあります。これ、実母の目の前で起きたこと、数回ある ので、実母は、私のうちに、怖がって泊まりに着ません。ちなみに、兄の家でもやったことあります。

警告音として、話しちゃいけない話を軽薄に話してて、携帯電話が鳴り響きだしたとか、五色の雲を見て見とれている間に、電話が着たとか、人が何かを 感じた時刻を言い当てるとか、自分に興味を向けたであろう時刻を言い当てるとか、そんなのは、よくあることです。遠隔だと、相手の着ている服が見える時期 もあって、下着の色を言い当ててた頃、この人は裸だと思ったら、スカートを履いている女の人だったって事もありました。

遠隔で、色が鮮明に、「現実にある色」とは同じに見えないんだとわかって、実経験を積んで、ひとんちの「書類の色」とかひとんちの「枕もとの箪笥の 色」とか、言い当てて、枠組みが、オレンジに見えたんですが、実は金枠だったということがありました。それでいえば、見ていいと言われるとみちゃう事あり ます。若干、ひとと色の感覚が違うのかなと思いましたが、先日のガセネッタさんの時には、その時期に飛び出した色を、全く同じ時期に見ているってシェアが 出来て、あれは、あれで、最近、既に、ある程度色彩まで、綺麗に見えるようになったのかなとか。

息子の具合が悪いかどうか、保健室から電話がかかってくるまでに分かるとか、自分がパワースポットに行っている日に限って息子の具合が悪いとか、息 子の帰る時間が分かるとか、(最近、長男が読めないです)。宅急便で来る荷物が分かるとか(インターホンが鳴るかどうか)、電話が来るのがわかって、数秒 前に電話を握ってたりとか、母が電話して欲しい時間ドンピシャにかけすぎて、実母が、自分がかけたのかと勘違いした事とか。

実母のお呼び出しは分かるんですが、あっちも、私のお呼び出しとか、分かるようです。入院したとか言わなくても、「なんかあったわね」と言われて、入院だとか、あれこれ喋る母が怖いです。私も似たようなことしていますが。

帰る人の帰宅位置マップが見えることも。また、震災の時ですが、電車が止まっていて、進めなくて、宝石屋のVIPルームで寝てたんですが、急遽流れ る感覚がして、お手洗いに出かけ、髪を整えて、出る準備を始めたら、電車が動いていると知らせが着たりとか。(これ、このとき一緒だった人、完璧にパニッ クになっていました)。

電車の事故、自動車の事故、これから起きる自動車の事故を予測して、この道は使わないほうがいいと言い出したりとか。DQN行為は幾らでもありま す。要するに、気を読んでいるので、滞りがあったら、いけない。そういうのでは、人の出張のスケジュールを読んだりとか。滞るところを取除いたりとか。 (商談不成立は、滞りには、はいりません)、バーゲンでめぐり合い必須な出物だけは、いつまでも偶然残っているとか。

必要のない服は、クレジットカードが、どうしてもはねられて買えなかった事もあります。

そういう事で言うと、キャッシュカードがダメになって、金が下ろせない時期があったりとか。クレジットカードも、ダメになったこと、数十回ありま す。カードモノで言えば、ポイントが、無駄に増えている時ってあります。買った記憶がないんだけれど、カードポイントが、5000円とか貯まってて金券に 換えて、それで、何か買ったこともあります。これ、天界経費って呼んでいます。

天界経費系の買い物だと、強かったのは、無敵なのは、真珠。天界経費関係だと、無敵なのは、トランス状態に陥った私が、全く見知らぬ町で、子供が食 べれるレストランを探し当てる事とか。無条件に、行き先を指差しし始めたら、それに従うしかないって言う感じで。天界経費物は、必要なものが与えられるの で、必要としてないものは欲しくても買わせてもらえないってところですね。

他には、出てくる病院のご飯を当てたりとか、当てモノは一時期面白かったので、やりました。うーん。時々、見ている視点と送っている人の視点があわないときは、読み取れなかったりしますね。

失せモノは、厄落としの意味があるので、私は仕方ないんですが、実母も相当厄を落としています。そういう意味で、諦めろって言われたこと一杯ありま す。命が助かったんだから、諦めろって事がありますね。ご託宣関係とか、あれこれ、言い出し始めたりしたら、逆らわない事。無敵艦隊ですし。

当てモノで、ギャンブル系統は、自身の生命を著しく侵害するので、やめています。

 

他に無敵艦隊って言うと、うち中に瘴気が漂ってしょうがなくって、結界を張って、結界張りすぎて、自身が引きこもりになってしまったとか。マリア像 が良く喋るので、うるさいって、マリアさんの口に、絆創膏を貼ったりとか。箪笥の中に入れちゃうとか。(それでも、出てくるんですけれどね)。マリアさん だと、ご託宣野郎のご託宣より、恐ろしい事、案外喋っています。あの人は、災害警報みたいな人ですわ。

それで言えば、家の中にレイキの師匠を呼んだとき、レイキの師匠が驚いて、お宅は、この天使みたいなものが普通に存在するなかで暮らしているのかと 聞かれたことがありまして。こんなに自分にはっきり見えるものは世の中になかったと。それで、これは、自宅警備員なんですよと答えて、そらすっとぼけると か。鬼の子が歩き回ったり、邪な人間が歩き回ったり。瘴気が漂い、家の中を写したカメラに、変な人間が立った写真が写ったりとか。(一時期、我が家、心霊 写真ブームになりまして、息子と私で撮り競ったのですが、私の圧倒的な勝ちでした)。

憎しみをこめて肉を揉んだら、味が濃くなって美味しくなったとか。悲しみをこめて揉んだら、みずみずしくて美味しくなかったとか。たまにいらっしゃるんですけれど、何でも甘くなるひと。何でもうまくなるひと。すっぱみを抜く人、苦味を抜く人、いろいろいますよね。

まぁ、ちょっと、そんなところで、痛い霊能者その2でした。

 

 

さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち (角川oneテーマ21)
原田 曜平
角川書店
2013-10-10(欲がない世代の事なんですが、盗んだバイクで走りだした世代は、反社会性人格障害となるのでしょうか)

サトリ (上) (ハヤカワ文庫NV)
ドン ウィンズロウ
早川書房
2012-12-07
(嫌だなぁ、言わなくても分かってますよと言うと、気味悪がられる。その癖、空気読まないとKYと言われる。ふざけんな、社会って感じですがね)

    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

自分の今までの歴史を見てくると、痛いときがあったなって思います。ひとしきり、霊能者という仕事をしていたときは、実は、手や体から出る電気量を コントロールすることが出来ず、やる気に満ち溢れたときは、PASMOがダメになって、改札口で足止めを喰らったり、ATMをフリーズさせたり、居心地の よいレストランの時計を止めたり、運転している車のナビをフリーズさせたり、炊飯器をダメにしたり、自動販売機でお茶が出てきて止まらなくなったりとか、 そういう、何といいますか、ご利益あらたか以上の痛い存在でした。

そんなときには、皮の手袋をしていたんですが、ある日気がついたんです。

全然役に立っていないじゃん。指先を使う業務の時は、やっぱり、洗濯機を止めたり、ここぞって時に、インターフォンを壊してしまったり。その場にい るだけで、既に、電気が流れてて、周りのスマホが変な動きを見せて、周り中が焦り始めたり。腕時計は、幾つ壊したかは覚えていませんが、100個を超える ほど買ったのだけは、思い出があります。最後、ダース単位で買ったんで。

それが、みんなどういうところから来ているかっていいますと、やっぱり、ちゃんと、個人で買ったテキストどおりにエネルギーワークをやってみたら、できたんです よ。ただ、普通の一般的な人のテキストには、そういう事載っていないし、そもそも、こんなに電化製品と相性が悪くなる程のことがあったらどうしてください とも書いてなかったし。

おかげで、何度かIPODをフリーズさせて、内部破損を繰り返して、そうしている内に、コツをつかんだんです。

ただ、問題は、あの当時、無敵感覚だったな。(苦笑)。

なんでも電化製品が壊れるし、まさか、参拝に行った先で休憩してそばを食べた、その蕎麦屋のラジオと時計を止めたときは、流石に主人が言いましたね。

「君、いい加減にしなさい。」

車中で激高した勢いで、車がエンストしたこともありまして、そういう時の為に、自身をグラウンディングさせる呼吸法とかは、すぐに身につけました ね。子供がいて、そんな中でどうやってやったの?って言われると恐縮ですが、子供の送り迎えで、スタンバイしている無駄な時間に、練習を積んだんです。子 供が幼稚園の頃は、車で送迎が当たり前でね。だから、ほんの少しの待ち時間があったら、すぐそこで、その呼吸法を一生懸命行って、上がった自分の気をおさ める方法を会得したんですよ。

ただ、そりゃ、お迎えまでにあと5分しかなくて、しかも、不用意に押した自動販売機で、あたりが出て出続けたときは、正直、この呼吸方法効かなかっ たです。そういう時は、当たり始めた事を、設置しているところの近所に伝えて、自分はある程度本数を握り締めて、逃げるってことですかね。一時期、30本 以上のお茶が、車内に転がっていたことありますし、アクエリアスが当たったときは、薬局の方が言うんですよ。

「今、ビニール袋を用意しますので。」

 

違う違う。必要なのは、ビニール袋ではない。風邪引いて、寄った薬局で、一本のアクエリアスを買い求めようとした自販機から、まさか、20本のアク エリアスが出てくるとは思わないじゃないの。20本は貰った数。それ以上は持ちきれなくて、店員さんに、「これ、電気信号ループしているのか、プログラム が悪いんです」(完全に人のせい苦笑)って言って重い20本を持って逃げたりとか。

痛い霊能者ってことだと、エレベーターに一人で乗ったときに、コンピューターから「重量オーバーです」って言われたことかな。

 

いやさ、ドンだけ重いんだー。って思いましたもん。

他に、飛び跳ねないでくださいとか、オートロックが、モーセさんの海のように開いてったりとか、電話かけてないのに、電話してる電話とか、相変わら ず、阿梵さんからの謎の電話も多い。それも、家族がいるときに、鳴ったりして。主人とか、目つきが冷ややかなの。他には、エスカレーターに気合入れてス テップ踏んだら、止まったとか。もう、エネルギーワークも霊能力も気合でしょう?。どんだけ気合なんだーって思うもの。

まだまだ、ついでに言えば、時間的に5時間は経った感覚なのに、1時間だったりとか。息子の手を引いて山に登って降りて、30分かかる道を5分で 行ったとか、あれは、既に、凄いね。いや、当時のことを思い出すときがあるけれど、あれ、ハンパない黒歴史だね。よく、天狗が乗せてってくれるとかいうけ れど、私にも天狗の加勢がつく時があるんだーって思ったもん。天狗って、マルチターボのような存在なんだ(いえ違います)とか。

他にも色々あったと思うけれど、ここまでやってきて思うのは、これ、こんな手ひどい目にあって、やってきたけれど、ある意味、ここも黒歴史バンバンだね(笑)。ピタゴラ「不思議」スイッチのときに、黒歴史だと十分思ったけれど、それでも、黒歴史、積み重なりだね。

これから、どういう人生を送るかは全くわからないし、どういう方面に行くかわからないけれど、それでも、面白さの質だけは、落としたくないね。

だって、もはやここまできたら、荘厳な霊能者じゃなくて、お笑い霊能者だよ。分野は、コメディ。

人一人霊視しているのに時間がかかっている人を見て、頑張れよって思うことあるし、既に、頼まれる前に、「お前はもう死んでいる」って言っちゃったりするような人だからな。

 

なんとも、この先も不安になってきた(笑)。

 

あぁ、だけど、いいこともあるんです。電化製品、修理なしで直せる時が・・・あります。マジで便利です。

 

           ノ
           (゚Д゚)
           ( (7
           < ヽ

 

その他ですが、大体、恥ずかしさのあまり、湯気が立ち上るような状態になるとなればなる程、収まりがつかなくなります。

 

「一休 一休 一呼吸。」

 

頑張って、8年間でこれを学びました。

 

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
エックハルト・トール
徳間書店
2002-06(ソウルメイト探しとか、自分探しはもう、やめないか)

小さな「悟り」を積み重ねる (集英社新書)
アルボムッレ・スマナサーラ
集英社
2011-11-17


    このエントリーをはてなブックマークに追加

呪い完全マニュアル
仙岳坊 那沙
国書刊行会
1994-11(あまりまともに使うな苦笑)

こんにちは。


呪われるって、単にいじめってだけじゃないんですよ。

呪うって、つまりは相手のメンタルに、「不幸なことが起きたら、その呪うと言われた呪いのせいである」という明文化することが、成功の鍵なんです。

巷の復讐サイトを見てて思うんですけれど、呪術的にうまくやったなと思う面もあり、ただ、呪術の場合は、相手が術師を連れてきて跳ね返したら、あな たへの損害は単なる状態ですみませんよということなんですね。人を呪わば穴二つとは言いますが、別にヴァギナとアナルの話だけじゃないと思うんです。両方 の穴攻めがアクメが止まらなくなると聞きますが、わたしは、人体的に怖いです。純粋に。楽しんだツケは、肛門括約筋の損傷による「オムツ暮らし」もしく は、快感が忘れられず、廃人同様になるくらい、人を呪うって、正当法で攻めるやり方するより、トリッキーな技にて、相手のメンタルに暗示を刻みこんで、自 分は忘れている方がいいです。

霊能者でも普通に呪われる場合もあります。

わたしも、心臓に手を当ててみたら、やけにビリビリした感じがして、あら、やだ〜、うんもう、ネタ貰っちゃったとは思うんで、わたしの場合は、あんまり送る側は楽しくないと思いますよ。

弾く体質の人もいて、弾く体質の人の場合は、とにかく、ビッカビッカに綺麗です。神々しいというか、とにかく、この人には、取り憑けないって程の雰囲気をドンドン出しています。

それで、わたしも、実はメイクすると、神々しくなるので、最近は、なんか別のものに頼るより、メイク一番だと思っています。外見は、正義です。何故 か年を取ると、元が美人な人と並ぶことができてくる知的な人の美しさこそ、正義になります。幼い精神で喚いても、わめくようなメンタルだから、呪われるん ですよ。

 

復讐したいほど人を呪うってことは、分からんでもないです。

でも、相手が幸せになることは許せない程度の事は誰にでもあると思います。完璧主義は、「何も許さないし、誰も許さない」事が正義なので、これは別として。

 

相手に、「あなたに今後起こる不幸は、わたしが引き起こしている」と思わせれば、相手は、不幸が起きる度に、ドンドン視野が狭くなり、そのせいだと思いこむようになります。そうなると、負の連鎖で、ドンドン不幸になります。

これは、実は、呪詛返しされない、呪詛です。

自分で思い込んでいるだけなので、呪詛でもなんでもないんです。

でも、よく、スピリチュアル系等にはありますけれど、思い込みの強さが大きいです。

 

よく考えてみたら、単に相手に言われたことを「真に受けた」だけだったりしませんか。

 

相手はそんなにあなたを思ってないかもしれません。あなたは、それでも、自分の罪の大きさに無意識に阻まれているだけなんではないですか。

 

だとしたら、身近なところから、自分が犯した罪を償っていく必要があるのではないでしょうか。

 

一番の復讐は、相手に自分の死んでいる画像を送るより、相手のメンタルに、後ろめたさの無意識を過剰に煽る明文を残すことです。

 

やり方がわからないって?

 

んなものは、あなたの知力で導きなさい。

 

 

悪魔の呪法全書 (サラ・ブックス)
ビーバン クリスチーナ
二見書房
1997-01

本番で実力が出せない人のための 「いつもの自分」トレーニング―簡単!直前!“勝負弱さ”を克服する50の方法
森川 陽太郎
ダイヤモンド社
2011-03-04(呪いなんかで負けるんじゃない、負けたら呪いの所為ではなく、己の弱さを憂う事だ)


    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

いや、いるんだ、こういう奴。

「死ねばいいのに」とか言って、本当に相手が不思議と「事故に遭う確率を高める」奴。

 

こいつら、全力で、どうにもなんないね。顔見ているとわかるよ。顔つきに出ているもん。

裏表があるような奴って顔に出るんだよ。上には、擦り寄ってすげー猫なで声で接するくせに、自分が下だと認定した相手には、もう、人間扱いしない奴。

反社会的な要素盛りだくさんの奴。こういう奴、大体、外で揉め事よく起こす。ついでに言えば、こういう性質だと、必ず晩年、孤独死するから見ててみな。

 

いやはや、思い通りにならないヤツに対して、呪いを送るような奴、もう、救いようないね。呪いが送れちゃうところが、ブラボーなんだけれどさ、(褒めてどうする苦笑)呪い送っても、意味ないよ。返されたら、結局は我が身に帰るしね。周りは意外と、見ているもんなんだよ。

 

そこで、ひとつだけ、不思議な話をしようか。

絶対墓まで持って行こうかと思ってたんだけれどね。

入院してた時、入院する時自体に、自分に災厄ってのがべったり張り付いててね。取れなかったんだよ。それで、どうしようか考えて、それで、入院しちゃったんだよね。まぁ、入院すればするほど、ドンドン貼り付くんだよね。しかも、両隣を挟まれた狭い中で、ひとりでいるわけ。

片方の隣は、なんか嫌なカンジがするんだよね。いや、嫌な感じとかじゃなくて、明らかに変なんだよ。

まぁ、性格にも難があったんだけれどね。それで、それらが、全部こっちにくるわけ。

 

それで、ある日、あんまり頭にきて、そうだ、一手に引き受けるんじゃなくて、人に移してみたらどうなんだろうって思ってね。

 

そんで、頭にくる方の人間に向かって、流したんだよ。

 

 

 

流して、一分くらいで、相手が、急に具合が悪くなってね。苦しいとか言い出して。元々、詐病気味な奴だったので、訴えても、医師の反応はなし。看護師も来ない。それで、わたしは思ったわけ。「ふうん。災厄って移動するんだ。」

 

それで、んじゃ、この際、病院だし、何かあっても、医師が責任とってくれるから、まぁ、全部流しちゃうかと思って、そいつに流したんだよ。

それで、流しきって、ブロックバリアを貼って、スッキリしてトイレに行ったんだよね。

 

トイレに行って帰ってきたら、妙に病室が騒がしいわけ。

 

そしたら、わたしの、反対隣の人が、起き上がってお茶を飲んでたんだけれど、心臓止まっちゃったんだよね。一瞬だったそうなんだけれど、医師と話を している間に、瞬間で、止まったんだそうなんだよ。それで、モニタリングしている看護師が慌てて飛んできて、よくよく、その人に尋ねようとしたら、もう、 答えられない。

 

それで、わたしが帰ってきて、自分のベッド見たらさ、仕掛けが壊れてやんの。

 

元々流した詐病っぽいやつは、結構なそれでも跳ね除ける力というか、そもそもが、術師になってもおかしくないほどの強さを持っているんだよね。それ で、恐らく、一瞬やられたけれど、跳ね除けた。跳ね除けて、わたしの簡易システムを壊し、簡易に仕組んだ仕掛けを物理的に壊し、そんで、その向こうの人の 心臓を止めたんだよね。

 

偶然だと思うかい?偶然にしちゃ出来すぎだね。

 

だから思ったよ。やや、こりゃ、本気で災厄というものは、取り扱いには気をつけないとと。でもね。結構、通常の人のアンテナで拾える災厄ってのは、 風呂入ったり、美味しいもの食べたりすると取れちゃうんだよ。それ以上はね。ある程度、自分が強くならないとはねのけられないんだ。

それは、修業をするとかじゃなくて、毅然とすることなんだね。つけこまれない凛とした佇まいを見せることが必要なんだよ。

 

まぁ、ちょっとした実験だったんだけれど、驚いてね。

結局、まぁ、そもそも、その心臓を止められた人は、医者がちゃんとケアをしなかったのが悪い。だから、ソッチのほうが悪くて、隙があったんだよね。

 

でも、災厄って結局、そういう感じでなすりつけることは出来るんだ。

そんなことするような奴には、なりたくはないけれど、どうしようもないときは、みんな、神社や寺で落としてくるでしょう?良い感じの森や山で落としてくるでしょう?結局そういうのって貯まるんだよ。浄化出来るだけの場所ならいざしらずね。

だから、今日も地下鉄の駅は、やっぱり淀んでて、そんなのを常に美しくご清浄にキープする策なんてない。ついでに言えば、裏表の激しい、いやらしい奴をどうしようと思っても、どうすることなんてできないよ。そいつらは、それで、少しずつ、精神的にネジ曲がって生育して、

 

巷的に言えば、ボーダーラインだね。

 

だから、人格障害なんて治しようがないし、そもそも、そいつは、結局は惨めな生活をおくるしかない。化けの皮なんて幾らでも剥がれる。まぁ、ほっとけ。

 

ほっとけないような状態になったら、あんたの負け。

 

 

美味しいものでも食べるとか、好きな音楽聞くとか、どこか行くとか、幸せになると、そんなの忘れちゃうよ。

馬鹿は死んでも治らない。だったら、放っておくのが一番だよ。そうやって、見捨てられて、哀れなざまになっても、知らねーってことよ。最後は自分の送った呪いとともに死んでいけ。それが、責任を負う真の大人の生活ってもんだろ。

 

 

 

図説 日本呪術全書
豊島 泰国
原書房
1998-09

呪いと日本人 (角川ソフィア文庫)
小松 和彦
KADOKAWA / 角川学芸出版
2014-08-14



    このエントリーをはてなブックマークに追加

死者のための音楽 (MF文庫ダ・ヴィンチ)
山白 朝子
KADOKAWA/メディアファクトリー
2011-12-21

こんばんは。

息子が、なりたい職業になるには手相を見るといいと言い出したので、んじゃ見てもらおうかと思って手を出したら、彼らの診断は、右手で行うという。 違うんじゃね?と聞いてみたら、クラスにいる占い師の息子がそう言っていたという。というか、クラスにいる占い師さんは、手相見じゃない(苦笑)。お母さ んもそのオーソリティなんだよと息子に言うと、息子が言う。

「知っているって。お母さんは、医学と薬学と混ぜた人なんでしょ?」「違う。」「んじゃお母さんはなんなの。」

 

「お母さんは、幽霊に詳しい人です(笑)」

 

というところで、昔語りを人形劇でやってみた。まだ、ビクターのスタジオを使う人を手伝っていた時代のこと。そこは、出るって有名だったんだけれ ど、出るとは思わなかった。今考えると、湿気も程ほどあったし、電気は漏電しているし。条件的には、由来も、由緒正しい場所である。しかし、自分の目で見 るまでは、到底信じていなかったし、未だに、今も出るって言われたら、疑問になっちゃう。

その当時、仕事してた部屋の横の部屋の小道具が揺れて動いたので、人がいたと思い込んだわたしは、懸命に、隣の部屋の人に頼み事をしようと思って四苦八苦していた。

程なくして、わたしの奇妙な動きに気がついた人が、なんで隣の部屋にコンタクトを取ろうというのかと馬鹿にするような顔で言った。隣の部屋には、コンソール(ミキシングマシン)がある。隣には人がいないのだと、知っていた人が、胡散臭くわたしを見た。

わたしは、その部屋の小道具を指した。

明らかに、揺れている。

 

んじゃ、人がいるんじゃないの?と思って、ドアを開けて出て行ったら、誰もいなかった。誰もいないけれど、相変わらず、小道具は揺れていた。こ りゃ、地震じゃないかと思ったが、確認のしようがない。一緒にそれを見た人が、嫌がって、今日は帰るという。んじゃ帰ろうといって、その人の車に乗せても らって、近所のラーメン屋に寄った。ラーメン屋で、食券を買って、頼んだら、2人しかいないのに、水は3杯来る。

 

ラーメンも3杯来た。

 

食券は2つなので、ひとつは引き換えようがない。お店は慣れている感じで、頼んでいないラーメンを持って引き下がった。一緒に来た人は、完璧に驚い ているが、実はわたしはそんな経験が日常に多いので、あえて気にせず、ラーメンを食べた。帰り、その人はもう送ってくれないと言う。そこへ、ラーメン屋に 来たタクシー運転手さんが、送ってくれるという。

 

ありがたいので、都立大学までと頼んでタクシーに乗った。乗っても運転手さんは、相変わらずドアを開けている。なんで直ぐでないのかと思って聞いてみると、「ドアの所に、女の人が立っている。あなたの連れか」と尋ねられた。

無論だが、わたしの連れは、既につれなく、自分の自動車で帰宅したヤツだ。しかも、女性ではない。

ドアを見ても、人は見えない。なので、運転手さんは、何を見間違えたのかと思って聞いてみると、なんと、ミラーを見ろという。バックミラーで見た ら、確かに女の人がか弱そうに立っている。しかし、よく見たが、覚えがない。覚えがない奴のタクシー代まで払うのは不本意であるので、乗せたくはない。早 く帰りたい。

そうタクシーの運転手さんに告げたら、タクシーの運転手さんが言う。

 

こういうこと、この辺で多いんですよ。

 

わたしは、怪奇現象に慣れっこなので、そうですか、んじゃ行きましょうと言って、サッサとドアを閉めてもらって、うちまでタクシーを走らせて貰った。

タクシーの運転手さんが言う。

「彼女に反応を示さない人は初めて見た。」

「あの手の人は、割り勘でタクシーの乗るという習慣がないので、捨て置いていいと思う。」

「え?祟られるとか、怖くないんですか。」

「怖くはない。あの手なら、たまに、実家にくるから。」

「んで、どうやって送り返すんですか。」

「玄関先で、うちの父が怒り心頭でたたずんでいるのをみると、大概は、そこでいなくなる。」

「凄いお父さんなんですね。拝み屋さんかなにかなんですか?」

「いいえ、単なる物理博士です。」

「はなから信じていないから、現れないんですかね。」

「いや、深夜を過ぎて、娘が帰宅時間を守らなかったときの父のたたずまいは、幽霊も逃げ出すと思う。」

「そら、すごいですわ。」

「しかし、時々、家の中にはいってくる。」

「するとどうなるんですか。」

「怪奇現象が起こる。」

「怖くないんですか。」

「いや、普通にレコードをダビングしても、変な音が入るので、テープの無駄が惜しい。いいテープは高いし。」

「お客さん、若いのに、シビアですね。」

「あの手は、情けをかけても、無賃乗車、ただ飯喰らい、自己アピール満載ですから。相手してたら務まりません。」

 

さてそうやっているうちに、うちに着いた。

 

よく考えてみると、怪異現象が多すぎて、麻痺したとしても、あんまり、あのスタジオに近寄りたくないなと思って部屋への階段を上がっていった。よく 霧に煙る場所でもある。しかし、仕事が納期に仕上がらないほうが、スタジオ代などの経費にさし響くために、あえてすっ飛ばしていた自分のほうが、怖い存在 だったと今では思う。


主人は、交際半年目にして、達観した。婚約時代を、無駄に引き伸ばして1年置いてみたのだが、付き合って3ヶ月目で婚約になったの で、今となればよかったことだと思う。



しかし、実はあの当時のわたしは、実は、幽霊に見せかけたホログラムが写るミラーがあるんだと、信じて疑わなかったのは、実は内緒(笑)。幽霊話はタクシーの運転手さんの走行費ぼったくりの常套手段だと思ってたってことは、永遠の秘密(笑)。

ラーメン屋で、聞いたタクシー運転手の無賃野郎の情報交換について、驚愕の事態があった事は、またこの次に致しましょう。

 

 


怪談新耳袋 絶叫編 うしろ「記憶」 [DVD]
山下リオ
キングレコード
2009-07-08


    このエントリーをはてなブックマークに追加

新ナニワ金融道 20 (SPA COMICS)
青木雄二プロダクション
扶桑社
2014-01-31

こんにちは。

あっ、タイトルからして、今日はごめんって思うんですけれどね。食事時はあまり読まないほうがいいかもしれません。

来客が着ていて、その片方の方で思い出したんですけれどね。前に、やけにそこを車で通ると、「XX組」って書いた札や、「ZZ連合」とか書いてあるステッカーを車に貼っている人がいたんですね。未だ、そっち方面に向かうと、高速道路、横見りゃ、893さんの車ですわ。

そこの近所にいた方がこう仰るんですよ。60越えてね、真顔で、「あそこの森には近づかないほうがいい。ろくろっ首がでるから。」って仰るんです ね。民俗学でもお馴染みの、婉曲な言い回しがありましてね。わたしは瞬時に思ったんですね。所謂、あんどんの油をなめに来る「ろくろっ首」ではなくて、「首吊り死体の惨状」を現したものだろうなって。

その当時、そんなに今より、知っている事も少なかったんですけれどね。うすうす、気がついていたんですよ。世の中の、妖怪って言われるものの半分に は、所謂悲惨な現状を、そういう言葉で封じ込めたものがあるんだなって。水木しげるの本には、大きな屋敷のかもいから、ぶら下がる妖怪がいるという。長男 は、日本帰国後の心霊物件で、梁とか、かもいとかなかったんですけれど、上からぶら下がる大きな顔を見ましてね。凄く驚いていたんですね。けれど、あれ も、婉曲に、その屋敷で、首吊りした人を表しているような気もしたんですね。

まぁ、実際、何でも見たがりなので、実際に、その森に子供を上手に散歩させつつ、行って見たんですけれど。そうですね。所謂、妖怪はいなさそうでしたね。首をつりたい人は、幾らでも呼びそうな立地でしたけれどね。

なんで、そんな事を思い出したのかって言われると、実は、わたし、トマトの苗を先日買い求めに言った先が、そこの近所なんですね。どうしても、その店の 苗がいいんですよ。今まで、丈夫に育ちましたのでね。主人が車を運転して行くんですけれど、どうしても、どうしても、そっちの森に向かってハンドルを切り 始めるんですよ。「おいおい」って心底思いましたけれど、あの人、「あれ、おっかしーなー。」って言いながら、どんどん、そっちに向かって進むんですね。

再度、行かないように、強引にUターンしてもらいましたが(涙)。

人間の首って、恐ろしいほど伸びるんですわ。実際に、そういう現場見た人は、ほんと、トラウマになりそうな程ね。人体って、凄いんですわ。考えられ ない状態を作り上げるんですわ。それを、ズバリ直球に言えなくて、婉曲な言い回し・・・・=民俗学の殆どや、妖怪の話だと思うんですね。そこまで、婉曲に 言わなきゃいけない惨状って、私も随分、人の死の場面に出くわしますけれどね。本当に、悲しくて、どう表現したらいいのか、けれど、子供たちに見られちゃ 困る勢いで、なんとなく、言って見ましたってことはあると思います。

あぁ、それより、もっと人が首をつりそうな場所の感じの方がどうなのかって?

うーん。それはなんとも言えないですね。つりたい人が吸い込まれるというより、その近辺の方々の商売の方が、重要なんじゃないですかね。きっと、清めても清めても、また濃くなりますって。そういう仕事が、あるんですよ。金貸しって言いますけれどね。

 

 

総員玉砕せよ! (講談社文庫)
水木 しげる
講談社
1995-06-07



    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

本日は、主人がドン引きするわたしのある日についてです。

わたし、実は、元々あんまり餡子って好きじゃないんですよ。「もなか」もそうですけれど、そんなに凄く食べたい訳でもない。と言うより、どっちかと言うとケーキが好きなのかな。で、ある日、買いモノに行った時、何だか凄く、餡子のおやつが食べたい。

わたしが、大福やもなかに見とれている間、その売り場の周りは、おばあちゃんで一杯だった。皆で、見とれて、どれにしようか考えていた。

結局、自分の理性を掘り起こし、ケーキが好きだから、ケーキにしておこうと考えて売り場を離れたんですね。理性ってのがあるから、私は衝動性に走らないんだと今までは考えていました。

ところが、その晩。やたらに食事の後に、餡子菓子が食べたい。ケーキでどうかと、砂糖でどうかと、砂糖なんてスプーンにすくって一杯なめてみた。自分の中 の、餡子へのオマージュは収まらない。どうしても、餡子でなければならない。何故か、無性に、餡子でならねばならなくて、ちょっと主人に買って来てもらう 事としました。

主人が言うんですね。ひょっとして、君は昨日、大福を食べたのを忘れたのかと。自分では思いだせないんですね。けれど、店が閉まる寸前に、夜中ひょっくり 起きて来て、「大福が食べたい。」と言ったんだそうなんですよ。で、買って着たら、やたら大福を褒めそやして、いそいそ自分でお茶を煎れて、大福をお皿に 乗せて、ひとり心地しているようだったんですね。それにドン引きしてた主人は、何で、今日も、スーパーで、餡子菓子の前に立っているんだか分からない。

けれど、やっぱり自分が買いに行く羽目になって、こう言うんですね。もう、大福なんて買わないよ。餡子のたっぷり入ったもなかでいいだろと。

買って来てもらえると、凄く餡子が輝いている(苦笑)。普段の自分じゃ考えられない程、餡子が凄く美しい。もなかをやっぱり、大事に皿に乗せ、お茶もいる だろうと考えた。もはや、こんな考え、普通のわたしにはない。普通のわたしだったら、そのまま、大福やもなかを食べて、牛乳飲んで終わりだ。

けれど、その日は、あんまりに涙が出るほど、餡子が食べたくて、買って来てもらえた(そもそも、いつもは自分で買いに出る)、その餡子が有難くて有難くてしょうがない。ひとり、お茶を煎れて、もなかを味わっていると、長男が叫んだ。

「お母さん、どこかのおばあちゃんみたいだね。」

・・・・・・・。
その一言で、ヘタレお母さんの理性スイッチが入った。
そう言われてみりゃ、おかしいじゃないか。自分で食べたがらないはずのモノを、何でお湯まで沸かして緑茶を煎れて、しかも、お菓子を皿に乗せて食べているんだ。一体、どこの人だ、わたしは何をしているんだ。

・・・・・・・。
けれど、餡子の甘さが口いっぱいに広がると、凄く涙があふれてきた。そうだ、こうやって、餡子を最期に食べたかった。我慢して我慢して、そうして食べない まま自分は終わってしまった。あぁ、なんて甘いんだろう。あぁ、なんて美味しんだろう。私自身の理性を吹き飛ばして、わたしは、すすり泣きながら餡子を食べていた。

その後、お茶をすすって(今回はすすり方に癖があったらしい)、餡子を身を持って美味しいと感じ、「ありがとうございました」と礼を主人に言って、そうし て、そのまま、ベッドに行って寝てしまった。もはや、息子も主人もこんなわたしに、慣れっこで、これがごく普通のお母さんだと思っている。

その翌朝、既に、餡子はいらない、やっぱりケーキ大好きな自分に戻っていた。自分の一生の中で、あんなに餡子が美味しく思える事は、もうないんじゃないか と思いつつ、恐らく、茶を飲む時に、あぁやってすする癖のあるおばあちゃんがいて、その方と共に餡子を味わったんじゃないかと思う。

しかしながら、あの餡子の味は、「天上の餡子」であった気がしてならない。自分ひとりじゃ、絶対味わえない味であったと思う。




    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんばんは。

死にたい死にたいって、よく口に出る奴がいるだろう。そうさ。あれらの半分は、死にたくなくて、誰かに構って欲しくて口に出しているけれど、半分位はどうだろうねぇ、死んでもいいやって思ってるんじゃないのかねぇ。

今すぐって覚悟は持ち合わせちゃいないんだろうけれど、どうだろうねぇ、あんがい、死んでみる気になったりするじゃないの。そそのかして、うんと怒らせたでもしたら、もう投げやりで、そのまま思いのままに、刃物を突き動かすのもおるねぇ。

あたしの役目は、それの肩をちょっと押すだけなんだよ。

人間、生きてりゃ、お天道様が照る日ばかりじゃないのにさ、どうだい、あれらは、いつでもお天道様があって当然だと笑うじゃないか。おかしいねぇ。おかしくないかい?死にたいと思うあれらに、お天道様は要るのかねぇ?あたしゃ、いらんと思うねぇ。

え?こりゃ、よく聞こえんね。もっと大きな声で言ってご覧よ。あたしを誰だと思ってんのかとね。ほれ、ほれ、もっと大きな声でいうてみんしゃい。あたしはあんたの気が向けば、迎えに来るつもりでここまで来たおひとよしだよ。ひとは死神ともいうがね。

あんたが望めば、もうこんな世なんかとおさらばもできる。その代わり、ちゃんと連れてってくれってぇ?人使いのあらい人だね。あたしには用事があるんだ。 あんたは、そのまんま、あたしの手伝いだけでね。ちょっとしばらく陰気臭い人間の臭気を嗅いで回ることしかできなくなるのさ。

怖いって言われてもねぇ。あたしからしたら、迎えに来てくれだの、やっぱ嫌ダ言うあんたのほうが怖い思いもするがの。

おや、旅支度はどうしゃった。


日本酒 死神 720ml
加茂福酒造

死神様と4人の彼女 (1) (ガンガンコミックスJOKER)
巣山 真
スクウェア・エニックス
2013-11-22

    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

昨日、何があったって訳でもないけれど、拾ったなって確信はあった。けれど、まぁいいかと思っていた。

寝る前に、自分で隠して選んだルースケースには、トルマリンが入っていて、「あぁ、そういうことなんだな」つまりは、かなり強い霊を拾ったんだと確信した。けれど、アプローチが全然こない。どうしたんだろうと寝た。

寝てから、真夜中に、自分が夢を見ててこれから面白くなる前に、頭の上で響く声がする。

「しょうがない しょうがないと思う しょうがない しょうがないと思う」

しかも、これ、トーン高め。わたしの地声よりちょっと高い。慌てて起きてみると、主人がいびきをかいている。彼は疲れると、いびきが激しくなるのだが、正直、これは聞いたら、ある年配以上の甲高い人の声で、

「しょうがない しょうがないと思う しょうがない しょうがないと思う。」

ずっとこれが寝室に響いている。自分の中で、これはリアルに聞こえる声だけに、寝室に響き渡る声のように聞こえる。なんで、誰も疑問に思って起きないんだろう。というか、この人の寝言でもない。本当に、あるおばあさんが、

「しょうがない しょうがないなと思う しょうがない しょうがないと思う」

延々、愚痴のようにお経のように唱え返している。
自分でどうしようかなと考えた。珍しいから、携帯で録音するか。というか、録音している場合じゃないよなぁ。流石に、寝室中に女性の声が響き渡っているんだもん。

主人を動かして、呼吸の方法を変えてもらうことも考えた。しかし、ちょっと好奇心のほうが勝った。なんで、女性の声で、何度聞いてもこう聞こえるいびきがかけるんだろう。逆に、これは、才能だよな。

時々、彼はいびきで、凄まじい怖い心霊現象のようなことをしてのける。故に、一度手術を受けてもらったのだが、こんな高音域初めてだ。

その後、諦めて寝たら、夢の中でおばあさんが、「しょうがない しょうがないと思う」と、お経のように叫んでいる。おばあちゃん、世の中、そんなにしょう がないと呟く「勉強料」ってのはあるもんだけれど、余程、己の所業が、納得いかなかったんだね。それは、私も体験したなぁと思って、夢の中でも付き合った。

気がつくと、下半身に一気に、蕁麻疹が出てきた。かゆい。かゆい。




彼のいびきシリーズには、「恨んでやる 恨みはらさずにおくものか 恨んでやる 恨み晴らさずにおくものか」ってシリーズが四六時中あったときには、流石 に、主人に、呼吸器の手術を勧めた。霊障と言う前に、そのいびき、問題だろう。だけれど、彼は元々、本当にいびきに、こっちが逆におきてしまうような、恐 ろしいシリーズが多い。故に、次男は何度も小突く。

「パパ、うるさいだの。」

怪談実話 無惨百物語 ゆるさない (MF文庫ダ・ヴィンチ)
黒木 あるじ
KADOKAWA / メディアファクトリー
2014-04-09

怪談実話 無惨百物語 はなさない (MF文庫ダ・ヴィンチ)
黒木 あるじ
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-06-24

    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんにちは。

割と人は気がつかないんですが、日常のどこそこにでも霊ってのは、条件さえ整えば姿を現すと思うんですね。

わたしの実家は、そういう面で出やすい立地ではあったんですよ。目黒から多摩へ、そして現在23区内に移ってはいるのですが、どうもね、どこも出やすかったんですよ。
目黒の 時なんか、ほんと真夜中にぱっちり目が覚めた、その数分後に、ひねらないとつかない裸電球がついてしまったんですね。そういうのも多かったですし、父と母 が、時間を教えようと思って買ってきた時計があるんですけれど、日取りを真夜中の12時に、パタパタ回転させて、曜日表示を変えたりするんですよ。アナロ グだったので、パネルの音は凄まじかった。人に何かあった時、時間を覚える癖が残った。

それ以上にわたしの父ってのは、割と馬鹿にしたような顔して聞いておきながら、「両親ともに揃って」そういう話が日常にあり、そういうもんはあるもんだと捉えていた事自体が、わたし自身の現在ある由縁です。

わたしの父方には、本家の寺があるんですけれど、そこへ連れて行かれたのはたった一回きり。何でも聞いたところによると、その頃「ルーツ」と言う映画が流行っていて、そ して父が尋ねに言ったらしいんですよ。ろくなメモを持参しないで行ったので、和尚さんに包んだお菓子の、「のし」の裏にメモを取って帰ってきた。その時連れて行かれたのですが、 わたしは、凄く怖かったんですね。その寺に、言い知れない恐怖を感じたんですよ。

なんせ、お堂の方でガタガタ音がする。和尚さんに、「あれは煩いが、何をしているのだ」と聞くと、話を中断された親は怒った顔であったが、それ以上に和尚さんは、大層冷ややかな顔で「この時期はね。あそこがガタガタ鳴るんですよ。気にしないんだよ。朋ちゃん。世の中には、色々なものがいて当然なんだから」

兄を焚きつけて、一緒に探検に行こうと思った。けれど、兄は既に真っ青な顔をして、絶対何しても動かない。いつもの兄らしくないなと思って、ちょっとトイレに行くふりをして、お堂を覗き込んだが、気配はない。けれど、ひとり、向こう側で座っている人がいた。

「あぁ、あの人が、何か掃除をしているのかな」

そう思ったら、安心して眺めていた。安置された沢山のお位牌を、その人がなめていたが、「そうやって綺麗にするもんなのか」と思ったわたしは、正直、馬鹿がつ く程素直だったのだろう。それ故に、見えた者に対して、見えたモノのやる事に対して、素直に受け止める習性があった。別に怖くもなくなり、安心して親の元に戻って、和尚さんに言った。「お位牌って、なめて綺麗にするもんなんですね。」

親はショックを受けた。和尚さんも動じまいと思ってたのか、その時、大人たちはかなりの挙動不審者だった。

けれど、親の聞きたい事は、自分たちの祖先は何をやっていたのか、そして何故、父を連れて満州に行ったのか、そしてそこで何が起きたのか、親目線で何を考 えたのか、何故この家にこう言う事が珍しくないのか、そういう事に終始聞き入っていた。けれど、納得のいく答えは無かったらしい。

帰り際には、またお堂を見たが、その人は、位牌をなめるのを止めて、お供物をなめていた。結構、その人はガタガタ震えながら、お供物をしゃぶっていた。果 物の皮をむかずにしゃぶっているのを見て、和尚さんに、あの人「お腹すいているんじゃないの?」と言った時の和尚さんは、泣き笑いの顔だった。

そして、一家揃って、引っ越しを重ねてそして23区に行く。相変わらず、家の中では、怪奇現象が多く、割と安心した。怪奇現象が起きる家には 割と慣れっこになった。真夜中に歩く音が一階で響く日には、親は、「寝たら絶対に一階に降りるな」と言った。けれど、それも、程なく、 わたしが出て行ってから、頻発する事は無くなった。

その代わり、わたしの新居が怪奇現象だった。主人はあり得ないと言うが、モノが落ちようと落ちまいと、事実は「片付けが増えること」だけである。わたしはそういう 思いで、淡々とやってきた。新倉イワヲの時代には、祓うって概念もあまりテレビに無く、キャー怖いで終わっていた。故に、そんなもんかと思っていた。

水を意味もなく、コップに入れてリビングに置いて、寝た日は、コップの水が半分になっていた。意味もなく、論理的理由もないまま、ごく普通に、置いておく 妻に、主人は非常に怖がったが、私自身は、「和尚さんが言ってたよ。あるものも、ないものも、そのままが世界だってさ」と。

故に、わたしの実家では、ひどく独特な風習を持っている。母がそれに固執する理由が分からなかった。けれど、息子を産んでみて、何となくわかる気がしてきた。 今になって、因果は大概片付いたので、昔ほどではない事、自分が家から出てみて、婚家の問題などを片づける間に、少しずつ、昔のあの凄さが薄れてきた。

けれど、今でも自分の地域が揺れる何分か前に目が覚める癖は直らないし、何か異変が起きる時の数分前にはやっぱり目が覚める。




    このエントリーをはてなブックマークに追加


こんばんは。

割と、わたしは仕事場を「通勤の乗り換えなし」か、「乗り換えがある時は階段の有無」を重視する傾向が昔からある。階段が凄く長いと、若い頃から、登っている 最中に膝が笑った。一時期、乗り換えの時に、凄く長い階段を上らねばならないように駅が改築された時、数日は通った。そして、酸欠が激しく、その職場を諦 めた事が何度かある。

外回りの、沢山の会社のサーバーのメンテナンスも請け負った事があったが、あまりにきつすぎて、当時56キロ位あって少々太り目だったわたしが、その一カ月後 には、疲労でモノが食べられなくなり、痩せすぎて40キロを割り、仕事自体をドクターストップするか、エンシュアドリンクという、カロリードリンクを、一日に三本飲めと 医者から言われた事があった。

神経を使う仕事は、無論だが、中々家に帰っても、交感神経が副交感神経に切り変わらない。兄が、外来を受け持つ時、凄く血圧が上がって、その後、家に帰っ て夜中まで下がらないと言った時、ふーんと思ってた。だが、良く考えると自分もそうだった。ひどく緊張して行う日は、翌朝3時以降まで、体が痛すぎて寝付 けなかった。

基本的に、恵比寿とは相性が悪い。乗り換えが多いからだと思うが、どうも立地的に、萎縮してしまう癖がある。青山は、伸び伸びとできるのだが、時々、夜間、誰もいないけれど、残業が多すぎる日、よくブザーが鳴った。明らかに、カードキーを使わないで入った時のブザーだった。その時は一度面白いので、自分 もカードキーなしで、入ってみた。体熱をセンサーするのか、やはり鳴った。

午前2時を過ぎると、特にあっちこっちで物音がした。寝泊りしなきゃならない時は、シュラフで、遠慮なくフロアに寝て、着替えは常時会社に置いた。無論だが、やはり時々セキュリティがビービーなっていた。その時は、もはや鳴っても怖いとかではなかった。

「まず寝かしてくれ」そう頼んで寝たが、睡眠は一時間しかもたなかった。そして、考えた。その次に起きる事が、身の毛をよだたせた。

午前3時半。歩く音がする。もはや、安眠を妨害しているのはよくわかった。何気なく泊まりたくない意思を会社に言ったら、会社の目の前のホテルを手配してくれた。だけれど、ホテルでさえ夜 中に歩く音がする。夏場はどうしてか、軍人さんが夜中に歩く。目指しているのは靖国だろうと思ったが、分からないので、とにかく、寝かせてくださいとばか り言った。

祓うとか、まずその頃、そんな概念が無かったんで、とにかく、拝み倒した。すいません、寝かせてください。すいません、うるさすぎます。安眠をお恵みください。けれど、あまりに 睡眠不足になり倒れた。

故に、普段は、音が鳴り始めない2時前には、退出カードにして、セキュリティロックをかけて会社を出た。翌朝、7時位に出社する と、そのログに、何かが一生懸命通ろうとした跡があった。めんどくさいんで、関わりを持たなかった。何をしたのかと次長に怒られた時もあったが、自分には 心得が無かった。

どうせ、青山墓地が見えるし、多少は仕方ないと思っていた。ついでに言えば、そんな怪奇現象、ごく当たり前の人間として、実は育っていた。実家の中で睡眠 不足にもなるし、第一、買った二子玉川のマンションで、霊障ドリームが続いた日には、世の中、元々こんなもんだろうと思っていた。

まさか、解消出来るとは思わなかった。けれど、自分が霊能者になってみて、完全な解消は出来ないと思った。地域柄もそうだし、運んでくる人もいる。運ぶ媒体もある。自分は既に、超清潔を諦めた。

けれど、特に色々あったけれど、一番記憶に残っているのは、シュラフで寝た時の、蕁麻疹だった。ダニかと思ったが、違う。今考えると、所謂、湿気に負けた免疫力での、蕁麻疹かと思う。湿気は豊富。サーバールームは、電気の宝庫。

しかし、自分はひどい静電気体質であるにも関わらず、実はこのオフィスでは、一回として電気感受性体質のやっちまう、サーバー飛ばしを行った事が無かっ た。ドサ周りのサーバー管理の時には、ドサ周りした、ドサ先で、ほんと飛ばした。有名な会社が多かったから、飛んだらアウトだった。一生懸命修復した。こ の時は、自覚している時はゴム手袋で行っていた。

色々な事があった青山午前2時。勤務先は、程なく移転した。ちなみに、表参道。出ると22年前から有名な場所がある。先日見に行ったが、今じゃ、もう、その人はいなかった。




PS:ちなみに、シュラフで寝ると時給「5万円」の時間帯があり、どっちを取るか悩んで、シュラフで寝ることを選択し、荒稼ぎした2000年問題でした。



    このエントリーをはてなブックマークに追加

大病院のこわ~い怪談
柳瀬 義男
講談社
1995-12

こんにちは。

いなや先生とは、わたしが学生の頃に教わった先生で、現在は医学畑で教授になっていらっしゃる先生である。いなや先生は、内科の先生なんだが、色々 と、専門分野があって、彼の専門分野が直接、「命にかかわったり」することが多いので、いなや先生は、せっかくのお休み日になったとしても、呼び出される ことが凄く多かったらしく、若かりし頃は、そりゃ、当直明けの寝ているところへ、「いなや先生、緊急事態です」という電話が来るのが、何より怖かったという。

無論、いなや先生は、一生懸命人を看てくれる医者である。

だけれど、当直明けの時は、割とミスが多くて、だからこそ、いなや先生には、当直明けの休みは大事な休養なのである。そこへ、急に容態が悪くなった入 院患者の連絡や、救急患者で、どうしてもいなや先生にという人がやってくると、いなや先生は、眠れないままに、呼び出されていくことになる。

いなや先生は、その晩もその辺にあったストレッチャーに横たわって、寝ずの番をしていた。

ところが、いなや先生が、寝ていると、ある病室のナースコールがよく点滅している事に気がついた。いなや先生、あそこの患者は僕の受け持ちではない からなぁ、なんか苦しいことがあったら、おったいさん(ナースさん)が呼んでくれるだろうと思って、そのままストレッチャーに寝続けた。いなや先生、その まますぅっと寝入ってしまったのだが、それでもよく明かりが点滅する。その割りに、どういう訳か、おったいさんが、中々病室に来ないのである。

おったいさん、こんなにナースコールで呼ばれているのに、なんで、来ないんだろう。

いなや先生は、そう考えながら、寝入り始めた。あそこの患者、あの病室で、あそこの場所で・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・うわっその患者、俺の受け持ちのたみやさんではないか。

 

 

いかん、いかん、おったいさん、これをちゃんと対応してくれないと困る。たみやさんは、重度の臓器不全。危険極まりないところで、あともう少しでお迎えが来そうな人だ。ダメだダメだ、おったいさん、ナースコールに応えてくれなきゃ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・って、ちょっと待てよ。あれ、勘違いかな。あれ、たみやさんは、亡くなってでてったはずだっけな。あれ、たみやさんは、 どうなったんだっけかな。たみやさんは、違う病室だっけかな、あれ、あれ・・・・考えているうちにいなや先生すっきりと目が覚めて、ストレッチャーから起 き上がった。

 

いや、マジで、あんなにヒカルのやばいって。そう、おったいさんに言いに行こうと、詰め所に行くと、おったいさんがいない。あれ?他のスタッフに、 あれ?おったいさんは?と聞くと、誰もが不安そうな顔をして、おったいさんは、今日の勤務ではないと言う。そっか、今日の勤務じゃないんだ。んじゃ、たみ やさん、ちゃんとなってる?大丈夫?そう聞くと、他のスタッフは怪訝そうに顔をしかめた。

 

・・・・・??ストレッチャーに寝る前に、寝るからよろしくと言って去ったおったいさんは、どこへ行っちゃったんだろう。あれ?俺、色々ごっちゃになっているかな。たみやさんって言うと、おったいさんを思い浮かべるから間違ったかな。

 

そう考えて、いなや先生、そのまま、ある病室で、ずっと光り続けているナースコールのランプの話を、詰め所で話をした。皆、見てない?ねぇ、あれ、結構呼び出されているよ。いなや先生は、そう言いながら、

 

これは・・・ひょっとして、

 

おちがある話(苦笑)に違いないと思い始めていた。

よくある、勘違い話。あるよねー、あるある。俺が、おったいさんの勤怠を勘違いしていたのと同じく、勘違い話あるよねー。ナースコールは、たみやさんじゃないとか。なんだ、俺疲れているのか。結構、頑張っているもんな。

 

話はそこから、実はいなや先生の思ってたおちと違う方向に進んだ。

 

おったいさんは、職場を先月末で辞めていて、実は、ナース服を着て、元職場に忍び込んで、夜、盗みを働いていたのである。それを、重度の状態のたみ やさんが、一生懸命ナースコールを光らせて、教えていたのだけれど、たみやさんは、実は意識不明。ナースコールが押せる状態ではない。なので、どうやって 鳴ったんだかは分からないんだけれど、実は、ナースコールが頻繁に光る日は、

 

おったいさんの盗みの稼働日と一致することが分かった。

 

その後、おったいさんが捕まると、たみやさんは、安心した顔で亡くなってしまったのだが、

 

いなや先生が、異動しても、盗人が出る日には、結構な頻度で、ナースコールを知らせるランプが点滅すると言う。なので、いなや先生は、アメリカに研修で行った先の病院で盗人を捕まえることができたと言う、

 

嘘のようなホントの話。

 

いなや先生曰く、俺は丁寧に看たんだから、心置きなく成仏してくれてもいいだろうと言うが、奇しくも、たみやさんの元気だった頃の職業は、おまわりさんであった。

 

 

 

今から23年前に聞いた話。いなや先生のあだ名が、医局では、とっつぁんなので、どうしてか医局秘書さんに聞いてみた。とっつぁんの理由(銭形警部から由来したんだと言う)を教えてもらえた。

死体は語る (文春文庫)
上野 正彦
文藝春秋
2012-09-20

死体は語る現場は語る
上野 正彦
アスキー・コミュニケーションズ
2002-10


    このエントリーをはてなブックマークに追加

メリーさんから電話
アプリアカデミー
2013-09-06

こんにちは。

わたしが若い頃、あった実話なんですけれどね。
家の電話が黒電話だったんですね。で、ダイヤルを回すばかりなので、面白くなくて友達から「プッシュ式」の電話を借りてくるんですよ。

黒電話の上にプッシュ式のモジュラージャックがあったんで、それを差して使ったら使えたんですね。面白かったので、プッシュで友人にかけたり、プッシュ式 で受け取れる情報を取ろうと、父と目論んだのですが、残念ながら、回線自体がダイヤル回線だったので、それは出来ない事となりました。

主人と付き合いだした時、伝言カードってのがありましてね。主人がある所に電話して、留守電を残したら、わたしが後で受け取りの電話番号に電話して、暗証番号をいれたら、それで留守電が聞ける、または追加の留守電を残せるってカードがあったんですね。

まぁ、そういうようなモノの先駆け商品が出ていた頃に、興味を持った父とわたしと兄は、それで結構様々なものを自宅でやってみたかったんですね。

けれど、色々試すうちに、使えない事が分かり、そのまま放っておいたんですよ。

ところが、その後、兄がいて、父と母が留守宅の時、電話が急に普段の音ではない音で、鳴りだしたんですね。わたしはその時、兄が、NTTの3ケタの番号でのテスト番号にかけて、後で鳴り返してきたのを聞かせてビビらせようと思っているんだなと思ったんですね。

まぁ、当然ですが、出ても誰も答えない。

「おにーちゃーん。あのさー、馬鹿にするんじゃねーよ」と言いかけて、そう言えば、兄は電話のない2階にいる事に気がついたんですね。受話器を下ろして、 そうしてしばらくしたら、また鳴りだす。それも、普段の鳴り方ではない。けたたましく鳴っている音に、兄が興味をひかれて降りて来て、「お前何やってんだ よ」と言い、「お前、両方の電話を繋げておくから、かかってきた時に電話が混乱するんだよ。その緑のプッシュの方外しとけよ。誰か、かけて来てるんじゃ ねーの。」そう言うんです。

やっぱ、煩いし、親戚がかけてきたのなら、一大事ですからね。急いで鳴り響く中、その電話を外した。

「お兄ちゃん、外したよ。」

けれど、ジャックを引きぬいて一旦切れた電話の音は、やはりもう一度鳴り始めたんですね。兄は、試しに自分の近くに合った黒電話に出た。「音しないじゃんか。お前が、ずっとプッシュなんか差しとくから回線が混乱しているんじゃねーの、電気故障じゃねーの?」

「お兄ちゃん、音鳴り続けているのは、お兄ちゃんの持っている黒電話じゃなくて。」


「緑の電話か。」


「うん。」

「うぇぇぇ。お前、それすぐ座布団の下にいれろ。」

「うわぁぁぁ、お兄ちゃん、座布団で包んだけれど、鳴りやまないよ。」

「お前その上に乗れ。」

「やだよ。これ借りてきた奴だよ、壊れたらどうすんだよ、兄ちゃん。」

「壊れるとかの問題かよ。これはな、今から段ボール持ってくるから、箱に入れて、裏の倉庫に置いてこい」

「早く兄ちゃん。早く早く。急いでよ。」

結局、一時間近く鳴り響いた電話は、その後兄が急いで探して来た段ボール箱に入れる前に、鳴りを潜め、わたしはそのまま貸してくれた友人に電話で「あのさ、変な事聞くんで悪いけれど」と聞く事とした。兄が横にいて、指示してきて、兄妹、タッグを組んで友人に聞く事とした。


しかし、友人はいとも簡単に笑って言った。

「あっ貸す時、言い忘れたんだけどさ。それ繋いでなくても、いきなり勝手に鳴るんだ。修理したんだけれどね。何で鳴るんだか分からないんだ。あっ返す? しょうがないなぁ。おまえんちで引き取ってもらえりゃ、よかったのに。電電公社も嫌がって引き取らないんだよ。やっぱ、流石のお前んち、でもダメか (笑)。お前のお父さんに聞いてみろよ、それかお兄さんに。」

「うちの兄に何とかして貰えって?うちのお父さんがなんかできるって?」

兄は激しく首を振った。恐らく一生見た中の3番目位の勢いで首を振った。早く返せとゼスチャーをしてくる。わたしはそのまま言った。


「これ、返す。どの道、うち、ダイヤルだから使えないんだよねー。」

「そっか。」友人はそう言って、即、引き取りにバイクで来た。
そのまま、箱ごと友人に渡し、その電話とはお別れを出来た。その後、自分は、またどこからかのバイト先で、カプラーを借りて来て海外通信までするのだが、その時、自宅の黒電話を、思わず長い間撫でさすってしまった。

そして、長い間、プッシュという言葉にかなり強烈なトラウマが出来てしまい、主人と結婚しても割と長い事、ダイヤル回線で通した。その後、プッシュ回線に 切り替えざるを得なくなった時、プッシュ回線になった途端、その電話に向かって、五体投地にて、思わず拝んだ。「あんな電話になりませんように。」


その後、発明された携帯にて、まさか自分の身にもう一度降りかかるとは、夢にも思わない、あれは、確か高校3年の夏だった。




小林 保
碧天舎
2002-07

怪談
ラフカディオ・ハーン
国書刊行会
2011-07-21

    このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは。

怖いもんなんかないって言っておきながら、結構自分ひとりで宿に泊まるのは、嫌だったりします。会社で出張を命じられた時も、海外であろうが国内であろう が、ちょっと嫌だった。まず、夜、お風呂に入るのに抵抗があった。けれど、抵抗があろうとなかろうと、割と体を温めておかないと交感神経が優位すぎて眠れ ない性質ゆえ、何とかその、鳥肌の立つ風呂に入った。温まるまでに時間がかかった。

出先に、寺があったり、神社があったりした時には、取り急ぎ数珠を買った。

だから、我が家には割りと、数珠のコレクションがある。東大寺で買ったり、法隆寺で買おうと思ったけれど、逆に怖くなって買うどころか、逃げ出したこともある。法隆寺の閉店間際時間は、わたしにとって、ちょっと恐怖を呼んだ。

さて、春日大社から、何でも時間を見つけて空き時間に行った。けれど、結果的には、夜、風呂に入っている時の鳥肌感は、全然ぬぐえなかった。まぁもっと も、「ガチ 新倉イワヲの世界 キター!」って考えていたから、祓おうとかそういう概念もなかったと思う。一辺、宿で、実は塩を用いたことがある。塩風呂 に入ったんだ。温まり方が違う。故に、よく出先に出るときには、塩を持って行く。

時々、今では実母と旅行に行く。ほんと、この人、よくそういう目に遭いやすい人で、しかも、全然なんとも思っていないのが、幼い頃から不思議に思っていた事だった。ところが、先日、一緒の旅行に行ったら、実母がこう言う。

「お前ったらすぐ寝ちゃって、あれから随分怖い思いを・・・・」

???いや、先に寝ちゃったの、お母さんです。わたし、あれから、四苦八苦して、出先の旅館の霊道を何とかしようとしていたんで、違うと思うんですけれど。

「お前は、いびきをかいて、それがやけに気になるいびきでねぇ。」

すいません。うるさかったんですか、というか、いびきかくような事、私あんまりないんですけれど。

「危ないと思わせるようないびきでねぇ。」

??????誰のいびきなんですか。わたし、枕元に、おっちゃんが一人立っているのを知ってて寝ちゃったんですけれど、それですか。わたし、割と、魑魅魍魎にまみ れても、部屋に誰かいるだけで、安心できて「熟睡」してしまうう傾向があるんですが。結界を張っても、全然自分が寝ているときは無駄だと思うので、人がい れば「寝ちゃうんですが」。それが何か、お母さん。

結局、実母と旅行に行っても、割とそういう事が起きる確率は高いので、あんまり実母とは行きたくない気がする。だからと言って、姑はもっと最高の「自覚症状あり」のエンパスで、霊媒体質だから、逆に、一緒にいると、迷って、いきなり人の墓の前に出たりしてしまうので、これまた、ご一緒を避けたい。

主人はもっとひどいでしょ?深夜の廃屋とか、深夜の不気味な神社に、「着いたよ」と言って乗り付ける人なんですから、これまたあてにならない。次男は、思いを「増幅」させる事をしてしまうので、これまた、わたし自身が落ち着かないと、無闇に「増幅」されてしまう。うまく上手に彼を使えば、結界が強固になる。失 敗したら、もはや、魑魅魍魎でどうもすいませんって事となる。

前に、子供達だけと旅行に行って、旅館のカーテンが意味もなく揺れていた事があったので(ピタゴラのどこかに書いた)、子供だけって事もある意味、リスキー。

で、絶対寝ない場所もある。窓際とか、寝ない(苦笑)。だって、外から来るお客さんと、現在室内にいるあてのあるお客さんと、どっちを対応したほうが寝やすいかって行ったら、現在部屋の片隅でたたずんでいる人のほうがはるかに楽。

という訳で、かといって、自分ひとりだとその技が使えない。しかも、友人と泊まるのなら、却って半狂乱を呼んだこともあるが故に、最近、友人から、子供連 れて修善寺とか、軽井沢とか「お泊り会」しようよと言われるが、かたくなに断っている。本音はお泊り会したい。けれど、修善寺も鎌倉並ではないけれど、ギ リギリ路線だと思う。軽井沢は、結構ツボでしょう。

んな訳で、どこか気分転換に、ひとりで旅行に行っておいでよって言われるけれど、泊まるところが怖くて行かれないヘタレお母さんでありました。ちなみに、 ヘタレ母の選ぶ宿は、100%保証つきの「出る宿」ばかりです。トクーサイトでは、既に連戦連勝なので、逆にHIS、JTBに斡旋してもらっても、やっぱ 高確率で当たります。もう、出ないところないのかな。

そもそも、自分が呼ばれやすいんだけれど。




続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加



こんばんは。

この話は、きぃちゃんの夏の続きなんですけれどね。

実は、プラモ屋から帰ってきて、わけわからない事をわめいて、高熱を出したきぃちゃんに、うちの亡き父が、行ったことがあった。あまりに、手馴れているので、その記憶があるんですよ。

父が帰宅してみると、きぃちゃんは、ぐったりしていたと聞きます。すると、父は即、自分の書き物机に向かい、そこに置いてあった大学名入りのレポート用紙を一枚めくって、万年筆を取り出してこう書いた。

 

「現実」

 

父はそれを器用に折りたたみ、きぃちゃんに持たせたという。そしてきぃちゃんにこういう風に言ったという。

 

「きぃ。現実を握り締めている人は、一番強いのだよ。きぃ。しっかりと、握りなさい。しっかりと握って、あの世の地獄から、この世の地獄である現実へ帰ってきなさい。地獄はどこも同じだ。」

 

きぃちゃんは、そのまま、うんうん、頷いて、そのレポート用紙を握り締めた。

 

「現実を握る。今は現実なんだ。現実なんだ。」

 

そして、きぃちゃんの熱は下がったそうだ。という後日談を後で聞いた。

そう言えば、私が、高校生の頃、わけわからなくなって、わめいてたときにも、父が平気な顔をして、原稿用紙に、

 

「現実」

 

って書いて握らせてくれましたっけ。あれは、父は父なりの苦肉の策だったんですね。

 

いや、それが効いたかどうかは、やはり、発動する人と、受け取る人との信頼関係に基づくわけだから、きぃちゃんは、父を無性に怖がっていたところがあるので、よく効いたけれど、高校一年生のわたしには、あまり効かなかったっけな。

父を思い出すとき、どうしても、レポート用紙に書かれた「現実」と言う言葉を思い出すし、万年筆を思い出す。

 

そういう理由があったんだな。

案外その当時のわたしには、変で意味深なラベルの酒をもったいぶって、奥から出してきて、ちょっと飲ませてくれるほうが、効き目があったような気がする(苦笑)。

 

 

 

兄より連絡を貰い加筆修正しました。


怖すぎる実話怪談 冥府の章 (文庫ぎんが堂)
結城伸夫+逢魔プロジェクト
イースト・プレス
2014-07-10

実録 お寺の怪談
高田 寅彦
学習研究社
2008-08



    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ